川副紀夫氏を偲ぶ会開かれる

   2014/03/24

川副紀夫氏

国際松涛館空手道連盟・オーストリア共和国主任指導員川副紀夫氏(72期、空手指導員)は去る3月18日、指導先のオーストリア共和国で膵臓ガンの為亡くなりました。

同氏は葉隠れで有名な佐賀県出身で拓大在学中(政経学部)は空手部副主将を務め、選手として素晴らしい成績を残した大変な実力者です、主な戦績は全日本学生個人選手権優勝、団体戦では関東学生、東日本学生、東西対抗戦において優勝、全日本学生準優勝の立役者であり、卒業するまで無敗を誇り、全ての試合で最優秀選手賞を獲得した猛者でした。

卒業後は故中山正敏先生(33期、日本空手協会初代首席師範)の道場で修業し、その後ドイツに渡り、長井昭夫先輩(62期)の下で語学と指導力を磨きました。

昭和52年オーストリアに雄飛、爾来36年間、空手の指導にあたってきました。彼は外国には日本人の空手の指導者は大勢いるが、ほとんどは金銭目的であり、指導者その者がまやかし者である、または実力があっても真剣に教えていない等を見て、拓大OBはこのような気持ち、態度では指導しない、そして拓大OBは最後まで責任を持ってやる、を信念に今日までやってきた、と話しておりました。

また、いい加減なことをしたら母国・日本は元より、海外で頑張っている拓大OBにも迷惑をかけるし、自分が教えている弟子達にも恥をかかせることになり、組織も成り立たなくなる、と語っていました。

さらに川副拓兄が学生の頃からいつも心がけていたことは、「人間いつ、どこで何が起こるか分からない、もし例えば交通事故か急病で病院に担ぎ込まれたり、他人の世話になったときに、汚れた下着をつけていたら家族や関係者に恥をかかせるので、心がけるように」とまるでかっての武士のように、親から言われ育った、と外出時の服装には特に注意していました。

そんな彼が一から築き上げたオーストリアでの足跡は20数カ所の支部、道場と1,200人を越す弟子達によって、今も意思が引き継がれております。

このような川副拓兄が海外で亡くなり、葬儀に行くことも出来ないので72期の有志が偲ぶ会を企画しました。

4月13日(土)、東京ガーデンパレスホテルにて、拓空会、紅会、士空会(関東学連49年卒の会)、国際松涛館空手道連盟等へ声掛けたら、急な呼び掛けにもかかわらず、50人を超える大勢の方が出席して下さいました。

田中清元老師(札幌・薬王寺住職、70期)の読経のなか、田口守拓空会幹事長(70期)の弔辞、津山克典拓空会会長(元拓大教授、57期)の献盃、中島武紅会会長(68期)の献歌・蒙古放浪歌、そして参列者全員が献花し、空手部の愛唱歌を、好漢・川副拓兄の元気な姿を思い起こして静かに合唄していたら、思わず熱いものがこみ上げてきて押さえることが出来ませんでした。

当日ご出席いただいた方々に本誌上をお借りし、厚くお礼申し上げます。有り難うございました。合掌

拓空会 佐々木正喜(72期)