インパール作戦から70年目 28期田中重蔵伍長戦死のニュース
7月30日のことである。所用あって隣の学友会本部をひょっこり訪れた。とたんに声あり!「あ、いいときにいい人が来た。この電話、代わってください」で受話器を取ると、相手は54期、空手部OB佐々木信男さんだ。
用件は「拓殖招魂社(八王子キャンパス)は戦没者をまつるところですね。今、我が家に28期田中重蔵先輩(1932・昭和7年3月卒)の娘さんが来てまして、偶然拓大同士ということがわかった。お父さんは昭和19年5月インパール作戦で戦死されたそうです。拓大の招魂社にまつられていますか?」
当方は日露戦争の脇光三先輩に始まり、大東亜戦争終結後までの戦没者名簿を今もなお調べ直す作業を大学の百年史編纂室で続けている。しかし、その田中さんの名前は初めて。遺族から母校への申告もなかった。時代は60年を経ている。
佐々木さん(福井県出身)は神奈川県綾瀬市の人。その奥さんは県立小田原城内高校(旧小田原高女)で田中先輩の忘れ形見黎子さんとは、中高の同級生。たまたま佐々木さんが拓大卒と知って、亡父の話に発展。直ちに学友会への電話となった次第。大学の渡辺総務部長が靖国神社に戦没記録調査を依頼し、一方黎子さんも靖国へ申請して次の回答を得た。
- 祭神 田中重蔵命(みこと)
- 一、階級・陸軍伍長
- 二、所属部隊・歩兵第百三十八聯隊
- 三、死没年月日・昭和十九年五月七日(戦死)
- 四、死没場所・インド、アッサム州コヒマ東南方三哩 第三十一師団第一野戦病院
- 七、合祀・昭和三十二年四月二十一日
大学からは遺族あてに「拓殖招魂社祭神」に加えさせていただくむねを丁重に文書発信してくれた。合わせて学友会も11月3日(祭)「拓魂碑」(八王子)に報告する手はずをとる。黎子さんは「父は東京の麻布中学校から拓大。大成火災保険会社(名古屋市)勤務。留守宅は母が守り、横浜大空襲で父の卒業アルバムなども焼かれ、私は幼児だった…」と語り、百年史編纂室で大学図書館を探したが、肝心の28期アルバムだけが納入されていない。すでに生存者もいないことから、同期遺族数カ所に問い合わせを続けているところ。
9月はじめまでに神戸市の磯村家(元神戸新聞重役)と旭川市の武田病院長(初代が拓大卒医学博士第1号・北海道医師会連合会長)から回答をいただいた。武田家からはアルバムをお借りできた。直ちにスキャン(複製)してお返しの作業。(M)