「日本寮歌祭」に参加して

   2014/04/30

第50回日本寮歌祭①

広報委員長 村上貴美子

新宿の街はほんの少し秋の気配がする10月11日「体育の日」第50回「日本寮歌祭」が開催されました。今年は開催50回目という事と、今年でこの催しが最終回になるということで、たくさんの人が集まりました。寮歌祭は旧制高校の精神を謳いあげた寮歌を歌い継いで、日本人の精神を次世代に伝えていくということを、目的として開催されてきたのです。拓殖大学は第1回目から参加しています。第1回目は昭和36年(1961年)10月7日、参加校21校で文京公会堂にて開催されました。その後、日比谷公会堂、日本武道館、日比谷公会堂にもどり、第41回からは新宿NSビルのイベント会場で開催されてきました。会場に集まってくる面々は、破れ制帽と、自宅の何処に、これらを保存していたかと思えるような羽織袴もボロボロの方が多く、高歯の下駄は許可されていないという事から履いている人はおりませんでしたが、もし、履いていたとしても(失礼ながら)歩行も困難と思える方もたくさんおりました。そんなことから、今年で50回のキリの良いところで終わりにしようという事なのでしょう。今回が最後という事でぜひこの目で取材したいと好奇心旺盛な私は出かけていったのです。集合時間より早く行ってしまったもので、つい、他の団体の分まで受付の手伝いをしました。さて、今回、拓大の旗の下に集まった人たちは総勢28名でした。拓大は「蒙古放浪歌」「興亜の雄図」「押忍三唱」の三つを披露することになっていました。この三つはだれでも知っているものの、壇上で歌い演舞するには自信がないのです。応援団の「紅会」のようにいろいろなところで披露し実績を積んでいる方々と違い、俄仕立ての集団としては取りあえず、合図を覚えなければなりません。後で聞くところによると、混乱すると予測して優しい後輩が「紅会」のメンバーを手配してくれていました。73期の豊田さんと、77期の沢田さんの指導の下、たった15分(?)程で一応の格好を整えた次第です。筆者なども「先輩!足が逆!」といわれたかどうかは内緒ですが、遠く海外までその勇姿?の様子が伝わっていったようでした。会の翌日には出場を讃えてくれたメールが手元に届きました。テレビの夕方のニュースで拓大のその俄仕立てのグループの演舞が放映されたとかでした。少々、恥ずかしい次第です。

さて、寮歌祭は開会式に続き、寮歌高唱となり、一番目の出場は陸軍士官学校、二番目大阪商科大学予科、…拓大は五番目でした。学友会から貸し出された揃いの法被を着て壇上に向いました。拓大カラーのオレンジはさすがに美しく一糸乱れず?ではなかったですが、出場者全員で終わったときの喜びは今でも思い出すと胸が熱くなります。拓大の後には早稲田高等学院、東京師範と続いていきました。出番が終わると安心して飲食に励めました。あちらこちらで同窓会が始まっていて、皆心から楽しんでいる様子でした。参加されている大先輩たちの中には、お酒が過ぎたようで椅子ごと後ろにひっくり返る人もいて、皆が駆け寄り助け起こす姿も微笑ましいシーンでした。午後4時過ぎには静岡高等学校の出番があります。その時に合わせて元拓大総長の中曽根康弘先生もお見えになるということで、皆で並んでお待ちしておりました。中曽根先生は少々風邪気味とのことでしたが、お元気なその姿を現すと、たちまち人垣が出来ます。それをかきわけ拓大メンバーは速やかに、先生と一緒に集合写真を撮りました。拓大生の連携はさすがでした。さて、静岡高校の出番です。前列に中曽根先生が並ぶとカメラのフラッシュは光さざめき、それは、それは凄いものでした。先生は静岡の出番から最後までいらっしゃるご予定だったとか…あまりに凄い人気で、皆が集まりすぎカメラを向け、そして話しかけられて風邪気味でしたから、お疲れになってしまわれました。秘書さんが、先生が退席されると連絡をくださいましたので、今度は「押忍三唱」でお見送りいたしました。先生も最後には一緒に拳を突き出して皆に合わせておりました。今回、第50回の参加校は何と44校に上りました。

新宿NSビルで開催された第50回目の「日本寮歌祭」は正午に開幕し延々、6時間近くも続きました。最後は日本寮歌振興会の神津康雄会長が50年間の応援・支援に対して感謝と御礼のご挨拶と一本締めで閉幕となりました。「日本寮歌祭」はこうしてその使命と意義に幕を下ろしたのでした。外はすっかり暗くなっていて新宿の夜はネオンの煌く夜になっておりました。「寮歌よ!日本人の心に魂に永遠に煌いていけ!」とビルの先にある空に叫んでみました。心地よい秋風に吹かれて、しばし酔いが回ったのはお酒だけでなかったようです。

第50回日本寮歌祭②第50回日本寮歌祭③