台湾一周クラシックカーラリー
謝謝台灣!~東日本大震災で寄せられたご厚意に、感謝の気持ちを伝えに~
2013年11月28日(木)~12月1日(日)の日程で、台湾を一周するクラッシックカーラリーイベントが一般財団法人ラリーニッポンの主催で行われた。この催しは、2011年3月に発生した東日本大震災の際に、台湾の方々から寄せられた、悲しみの気持ちや、数え切れない程のご厚意に対し、日本人の感謝の気持ちを伝える活動として企画され、実現までに2年の月日を要したイベントである。
そして、同法人の会員であり拓殖大学アフガン会副会長の下村博昭先輩(和歌山県在住、72期)が、母校のロゴマークと、台湾への感謝のメッセージを大書したステッカーを貼った1974年製のいすず117クーペで参加した。
このラリーイベントは、2009年から「日本を元気にする応援プロジェクト」をキーワードに、クラッシックカーで日本各地に点在する世界遺産や文化遺産を巡り、その土地の人々との交流を通じながら、美しい日本を再発見する催しとして、年に一回開催されている。
数十台のクラッシックカーが車列を組み走るその光景は、強い話題性を生み、毎年数多くの国際的なメディアが取材に訪れるなど、アジア地区で最も注目を集めている。
更に、伝統文化とクラッシックカーが、心と心にたすきをつなぐ、という活動が認められ、国内に数多く存在するクラッシックカーラリーイベントの中で、唯一観光庁の支援を受けているイベントでもある。
今回そのラリーイベントが、台湾の人々へ、日本人の感謝の気持ちを伝えに、そしてこれ程までに多くの厚意を寄せてくれた、台湾の人達の心の美しさや、そういった精神性を育んだ郷土の風景を世界に紹介するため、初めて海を渡った。
11月28日(木)あいにく小雨がぱらつく天気であったが、スタート地点の総統府前北広場には、ラリーの出発を一目見ようと多くの人が集まっていた。皆、初めてみるクラッシックカーに興奮気味であったが、交通整理に当たる警察官の指示に従い、静かにその時を待っていた。
突然、大きな歓声が沸き起こった。1926年~1974年までに製造された61台のクラッシックカーが、感謝の気持ちを伝えに出発したのだ。白バイとパトカーに先導され、そして数百名にものぼる警察官の注視を受ける中を進むその姿は、まるで台湾を訪れた国賓のようであった。
参加者達はコクピットの中から、沿道で声援を送る一人一人に、そして立ち寄った世界遺産では出会った人達に、日本を代表して「ありがとう」と伝えながら文化交流を重ねた。
人目を引くクラッシックカーが走る光景は見る人に大きな印象を与え、噂が噂をよび、手を振る民衆の数は日を追うごとに増え、なかでも台湾3大都市である台北・台中・高雄では、拓大の卒業生による熱烈な歓迎があり、その気迫のこもった声援は、参加者を更に元気づけた。
最終日の4日目、既に日もとっぷりと暮れていたが、ゴール地点である台北市の中正紀念堂広場では、3万人以上の人々が、車列の到着を今や遅しと待っていた。
到着予定時間を2時間以上も過ぎたころ、ようやく最初の一台がその姿を表すと、広場を埋め尽くした人達から「加油日本(がんばれ日本)」「我愛日本(日本大好き)」という大歓声が沸き起こった。この歓声は車がゴールするたびに大きくなると共に、最後の1台がゴールするまで鳴りやまなかった。
この4日間、台湾を一周しながら伝えた感謝の言葉が、ゴール地点で日本への声援、というかたちで返ってきたことで、イベントは最高のフィナーレを迎えた。
下村先輩はサンクスラリーをこう振り返る。
東日本大震災の際に、世界中のどこの国よりも早く、そして累計額では世界中のどの国よりも多くの義援金(日本円で約250億円)を被災地に届けてくれた台湾。しかしながら、日本政府は未だに正式に謝意を述べておらず、この事がずっと気にかかっていた。
どういう形で感謝の気持ちを伝えようかと、一般財団法人ラリーニッポンの仲間と相談したところ、一民間人としてでも公の場できちんとお礼を言うべきである、との結論になり、サンクスラリーを開催することになった。
初めての海外での開催であり、車の通関手続きや法律の違いなど、様々な障害があった。特に台湾国内を走行するためには、同国のナンバー取得や左ハンドルへの改造が義務付けられていることなど、この問題をどう乗り越えるかに一番頭を悩ませた。
諦めようかと思ったときもあったが、台湾政府に粘り強くイベントの主旨を説明した結果、ついに理解を得ることができ、超法規的措置で現状での走行が許可された。この時の気持ちは、言葉では言い表すことができないほど嬉しかった。
このような困難を乗り越えて上陸した台湾を、4日間かけて一周したなかで、最も強く印象に残っている出来事は、やはりゴールした時の様子である。
その光景はまるで、春の野に、にぎやかに咲く色とりどりの花々が、ゆったりと舞い踊っているかのようであり、車の中にいながらもどことなく甘美な香りを感じ、桃源郷に迷い込んだような錯覚を覚えた。
そして、台湾を愛する日本人と、日本を愛してくれる台湾人の心の中に、台湾協会学校から始まった拓大の先輩である「押忍」をはじめ、多くの人々が台湾の発展のために捧げた情熱が、情愛という形に成長し、今もいきづいている事に胸が熱くなった。
この思いは、イベント運営に協力してくれた東京大学、そして台湾大学の学生スタッフも感じてくれたようであった。準備や実際の運営で得た多くの社会経験、そして達成感をかみしめながら、会場の人達みんなと共にフィナーレの感動に身をゆだねる姿を見て、そう確信した。特に今回は外国での開催という事で、異文化を乗り越え相互理解を深めた、という自信が、この感動を強くしていたように思う。
最後に、次世代を担う若者が、このイベントを通じ親密な日台関係を築いてくれたことに喜びを感じると共に、我が拓大の学生も、このような出会いと感動を求めて積極的に海を渡らんことを望む、と。
拓殖大学アフガン会幹事長 丸山聡(92期)