阿波おどり学友会連に参加して
鳴門海峡が目の前に
徳島へ阿波おどりに行こうよ!
3月の学友会常任幹事会で先輩からお誘いをいただいた。徳島県支部を中心として、毎年8月に拓殖大学学友会連が行われていることは茗荷谷たよりの記事などで知っていた。少し(実はかなり)興味があったので、「はい、行きます!」と即答した。
そのときはかなり先の話しだと思っていたのだが、気がつけばもう出発日、お盆休み真っ只中の8月13日だ。旅行客や帰省とみられる家族連れで賑わう羽田空港。東京からの学友会の参加者20人は時間通りに全員集合し、一路徳島を目指して出発した。
徳島阿波おどり空港に到着するや、早速歓迎の阿波おどりで出迎えられ、いきなりの盛り上がりである。本場の阿波おどりをひとしきり楽しんだのち、バスで宿泊先の「ホテル鳴門海月」へと向かった。
ホテルに着きロビーに入ると、鳴門大橋を望む素晴らしい鳴門海峡ビューで一同から歓喜の声が上がる。まずはこの美しい風景の撮影タイム、そしてお待ちかねの昼食となった。これだけ美しい海に囲まれた土地だけあって、さすがに魚がうまい!プリプリの鯛の刺身や鯛ごはんなど、海鮮づくしの料理を存分に堪能した。
踊りは拓大
腹ごしらえも済んだところで、いよいよ徳島市内阿波おどり会場近くの支度場ワシントンホテルに向けて出発。ワシントンホテルでは徳島県支部の皆さまに準備万端で迎えていただいた。オレンジの法被に袖を通し、「拓大」の鉢巻きをキュッと締めていただくと、身が引き締まるのと同時に気合も入った。阿波おどりが始まるまでの間に阿波おどり会館で踊りの指導をされている古城美夫先輩(67期)に稽古をつけてもらう。先輩は間違いなく抜群だ。阿波おどりは2拍子、右手右足・左手左足を同時に前に出して進む。これが基本である。言っていることは理解したつもりだったが、やってみると「ん?」なんか違う…。先輩に見ていただくと「動きがかたい」「スムーズさが足りない」とのこと。これは日常生活でもたまに妻から言われることであるが、今さらお酢を飲んでみたりしたところで間に合うはずもない。ただ練習あるのみだ。限られた時間の中でぎこちないアワオドリを繰り返す…。そしていよいよ出発時間がやってきた。あとはやるだけやってやろう、拓大生の気合いで臨めばなんとかなる、踊りは拓大だ。とにかく楽しもう!自己暗示だけはパーフェクト!
大観衆に拓大をアピール
ホテルを出発し、最初に踊る藍場浜演舞場まで徒歩で移動する。徳島市内は先ほどバスで通った時とは打って変わって阿波おどりの衣装を着た人々でごった返していた。そんな中でも拓大オレンジの法被集団はひときわ目を引いて、街を練り歩く姿がすごくカッコイイ。そして、初めて履いたストロング地下足袋の地面を踏みしめる感触がなんだかとても気持ちよかった。
程なく藍場浜演舞場に到着。周りを見渡すと、すぐそばには総勢100人以上はいるであろう有名連がスタートを待っていた。自信満々に見える。スタート地点の先の会場には、左右の雛壇いっぱいに観覧客。良い感じに日も暮れ始めている。緊張感と高揚感がピークに達しようという頃、槙山忠春(67期)連長を先頭に学友会連は颯爽と阿波おどりのスタートを切った。阿波おどり未経験の私は前の人についていくのが精いっぱいで、自分がどんなふうに踊っているのか気にする余裕などなく、全長122メートルの藍場浜演舞場を果てしなく長いと感じながら無我夢中で進んでいった。なんとか終了地点までたどり着き、今踊っていた会場を振り返って見ると本当にたくさんの観覧客で、とてつもなくすごい経験をさせてもらっているのだなと、あらためて感慨深くこの貴重な瞬間を噛み締めた。そして、次の演舞場ではもっと楽しみながら拓殖大学をアピールして踊ろうと心に決めた。
最後はやっぱりカチマス
次の会場の紺屋町演舞場に着くころには陽もとっぷりと暮れていた。煌々と照らされた花道。左右の桟敷席の観覧客からは熱い視線が注がれている。これから拓大の看板を背負ってここを踊り練り歩くのだ。一度踊ったためか、先ほどよりはリラックスできている。いざスタート、泣いても笑っても今年はこれが最後の阿波おどりである。紺屋町演舞場では、学友会の旗を振りながら踊った。出来はさておき、観覧客が拍手をしてくれている。写真を撮る方もいた。ニッコリ笑顔で応える余裕もあった。1回目は長いと思った演舞場も今回はあっという間に終了地点までたどり着いてしまった。私の夏が…終わった。
終了後、今回協力をいただいた本家大名連の皆さまに興亜の雄図、オス三唱でエールを送り感謝の意を表した。徳島の街のど真ん中で踊ったカチマス踊りは最高に気持ちが良かった。懇親会では徳島県支部の学友の皆様といろいろなお話しをさせていただいた。みな拓大生であり、一緒に踊った仲間でもある。盛り上がらないわけがない。まだまだお話しできていない方がたくさんいらっしゃって、名残り惜しかったが、楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、大変な盛り上がりのうちに懇親会はお開きとなった。
徳島の名所を楽しむ
翌日は朝食を済ませてすぐに鳴門の渦潮観光に出掛けた。遊覧船に乗り鳴門海峡まで10分ほどで到着した。冬の方が大きな渦巻が出来るのだそうだが、渦潮を初めて見る自分からしたらこの日の渦巻でも十分にぐるぐる巻きだ。船を降りる頃、ラーメンが食べたくなったのはナルトを連想したからだろうか?
この日は東部の鳴門から徳島県を横断して西部の大歩危・祖谷のかずら橋を観光し、拓殖大学第3代学長後藤新平先生の句が刻まれた石碑を見学する予定だ。徳島自動車道をバスで西へと向かう道中、隣接する香川県出身の赤澤会長から、土成のたらいうどん、阿波の土柱、脇町うだつの町並みなど、徳島の名所・名物の貴重な話しをたくさん聞かせていただいた。おかげで2時間ほどの長い移動時間にもかかわらず、あっという間に目的地のホテルかずら橋に到着した。
ホテルでは徳島県支部の横田啓二先輩(64期)、阿佐健二先輩(66期)、中村洋昭先輩(70期)が出迎えてくださっていた。昼食を済ませ目的地のひとつである「祖谷のかずら橋」へ案内していただく。平家一族が追っ手から逃れるため、いつでも切り落とせるようにシラクチカズラという植物で造られた珍しい橋だ。駐車場から坂を下り橋へと向かう。おりしもこの日はお盆休み真っ只中…休みを利用してきたとみられる観光客でかずら橋を渡る長い行列が出来ていた。帰りの飛行機の時間もあったので、「イヤーッ」と(祖谷だけに…)叫びたくなる気持ちを抑え、橋を渡ることは断念し、遠くから橋を眺めて楽しむこととした。
後藤新平の足跡
徳島県支部の先輩方とはここで別れ、明治末期に逓信大臣(鉄道院総裁)の後藤新平先生が大歩危小歩危を通過した際に「岩に題す 天下第一 歩危の秋」と詠んだ句が刻まれた石碑をバスの車窓から見学したのち、高松空港へと向かった。飛行機は定刻に高松空港から羽田へ向かって飛び立ち、今回の徳島阿波おどり旅行のすべての行程が終了した。
来年8月には四国連合会創立60周年記念式典が阿波おどりと時期を合わせて開催される予定とのことなので、ストロング地下足袋はきれいに洗って1年間大切に保管しておこう。
最後になりましたが、今回の旅行で多大なるお力添えをいただきました森志郎支部長をはじめとする徳島県支部の皆様、四国連合会の皆様、大歩危で迎えてくださった横田先輩、阿佐先輩、中村先輩に心から感謝を申し上げます。拓大生で本当に良かったと、あらためて思った幸せな2日間でした。ありがとうございました。
広報委員 加藤紀昭(91期)