海外で活躍する卒業生 第6話 ドイツ/ 73期 岡村 修

   2014/05/02

ハイデルベルクにて中本社長(左)と

ハイデルベルクにて中本社長(左)と

ドイツで思う建学の精神

昭和50年3月(第73期)
政経学部経済学科卒業
岡村 修

私が拓殖大学を卒業して、もう35年が経つ。

私は本年4月、文部科学省から在外教育施設であるドイツ、フランクフルト日本人国際学校に校長として派遣されている。

この原稿を書くことになったきっかけは、このフランクフルトで住宅をお世話していただいた不動産会社の中本社長さんが、わが拓殖大学の大先輩であることを知り、わが拓大の建学の精神ここにあり、ということで学友の皆さんに近況報告ができればとペンを執った次第である。中本さんには懇意にしていただき、外国での不安な生活のスタートに多くのアドバイスをいただいている。何事にも前向きで自ら挑戦する気概を持っておられる中本さんは、後輩の私から見ても羨ましくなるほどバイタリティーにあふれている。彼のこのフロンティアスピリットと精神的な強さの多くは学生時代の相撲部での努力と活躍で培われたものではないだろうか。

私は中本さんのように大学時代の部活等の功績等は全くないが、奇遇にもこうしてドイツの地でお会いできたのは人生の中で何かの巡り合わせと、中本さんと自分の中に拓殖大学学んだという共通の相通じるものがあるのではないかと思っている。

大学に入学する前の私は、高知の高校を卒業して初めて東京に出て電機メーカーに就職していたが、18歳で就職し、何もわからないまま、毎日を過ごしていた。そんな中、周りに大卒の同僚もいて「同じ社会人として就職してもどこか違う」と感じながら自分の将来について考えていた。このまま社会人としての人生もあったと思うが自分として「今何かしないと」という思いが募り、後先を考えず、親や会社に黙って拓殖大学を受験したのである。入学を許可されたものの早速入学金に困り、一人で入学課に出向いて入学金を分割払いにしていただいたのを昨日のことのように思い出す。それからの大学4年間はアルバイトや生活に追われていたがなぜか苦しいとは思わなかった。授業だけは真面目に出ていたような気がする。

大学2年のとき、自分の将来を考え、教員免許の取得を目指すことにした。大学4年のときは教職課程の授業がほとんどであったような思いが残っている。

故郷に帰り、中学校で教職の道を歩み始めた。子どもが好きで授業や部活動に全力で取り組んできた。私は若い時にも在外教育施設に派遣させていただき、今回は2度目の派遣でもある。私にとって教員としての残りの期間はあまり長くないが、外国という厳しい教育環境の中で頑張っている子どもたちに、日本人として国内と同じ教育を受けさせることは大変重要なことであると考えている。また、同時に外国で生活する子どもたちに異文化理解や国際理解を深め、日本人としての意識を高めると同時に、将来世界で活躍できる日本人として活躍してもらいたいと思う。そのために微力ではあるが努力していきたい。

また、自分自身も日本人としての誇りを忘れることなく国際的な視野を広めるとともに少しでも社会にお役にたてる人生を歩みたいと思う。

今後も中本さんには多くの面でご支援やご指導をいただかなくてはならない。そして同じ拓殖大学で学んだ先輩・後輩としてお付き合いさせていただこうと思っている。

このドイツでの出会いをいつまでも大切にしていきたい。また、歴史ある拓殖大学から現在世界中で活躍しておられる多くの先輩・後輩の皆さまの益々のご健勝とともに、拓殖大学が今後とも世界を舞台に活躍される諸君を輩出されることを祈念しましてドイツからの近況報告とさせていただきます。

ドイツからの便り

商学部貿易学科 68期
中本淑郎 (相撲部)

私は、1985年のフランクフルト日本人国際学校創立以来、派遣先生方の住居のお世話をさせていただいております。今年赴任される校長先生は高知県出身と事前に学校側より知らされておりました。

入居の際、私は、S.45年1月全国大学選抜相撲・高知大会での拓大団体優勝の思い出一番の写真を持参し校長先生にお見せしたところ、これぞあうんの呼吸であった。「私も拓大です」。その校長先生の一言にビックリ。

「岡村修氏・拓大卒73期生、文部科学省より2010年ドイツ・フランクフルト日本人国際学校に校長として派遣」

拓大の先輩・後輩が互いに顔を見合わせ、このようなめぐり合わせに感動し合った。先生の第一印象は「男気のある人」と思った。

外国には「あうんの呼吸」というのは無いが、我々日本人には肌で感じる言葉だ。私が現大関「琴欧洲」を佐渡ヶ嶽部屋に紹介した際、先代の親方(元横綱・琴櫻)の前で、「コンニチワ」。「コトオウシュウデス」。「ガンバリマス」。と彼に日本語で挨拶させた。これぞ見事なあうんの呼吸であった。その瞬間、二者間の距離がなくなり、入門が決まった一瞬でもあった。この見事なる名場面は今でも脳裏に刻まれているし、琴欧洲の最初のこの日本語も私の耳朶にしっかりと残っている。

派遣先生方の任期は3年間ではあるが、この出会い「一期一会」を大切にし、人生について語れるお付き合いをさせていただければと思っている。

2010年6月ドイツ・フランクフルトにて

第19回全国大学選抜相撲高知大会

第19回全国大学選抜相撲高知大会