月刊Hanada 4月春宵号
花田紀凱 責任編集(飛鳥新社、840円)
早稲田古本劇場(向井透史)が第172幕を迎えて「早稲田古本街の歴史のなかで」が登場した。大隈重信が私立東京専門学校を明治15年に設立した。当時は見渡す限り田んぼの中、茗荷の産地でもあった。そこまでは、まあいい。しかし、明治35年、創立20周年を機に大学へと昇格、10月に開校式となる。われわれの感覚では違いますね。早稲田は勝手に「大学」を名乗っただけ。これにより自称「大学」が増加した。しかし、実態は専門学校が看板だけ「大学」に塗り替えただけ。特に法律学校が目立ち、明治法律学校は明大、日本法律学校は日大、専修学校は専大である。文部省は暗黙の了解としたが、やがて官立の東京帝国大学と同じく、私立大学を公認する。これが大正の世である。大学昇格公認は慶應―早稲田―明治―法政…の順だった。しかし、古本屋のご主人、懐かしい学園史を説いて下さる。大学アーカイブズ専門員のわれらとしては最も興味があった。
好評なべおさみ「エンドロールはまだ早い」27<アラン・ラッド>は1953「シェーン」が懐かしくて楽しい。三浦小太郎「キューポラのある街」続編を知っていますか―1962公開の名作。日本のマスコミまでが社会党とつるんで北朝鮮帰国事業(1959開始)を煽動した。彼らは北朝鮮の実態を知らなすぎた。
「ありがとう、オツカレさま、稀勢の里」(坪内祐三)には感動したし、高田文夫の「月刊Takada」第2回も好スタート。蛇足だが、子息は日刊スポーツ大相撲取材班の名キャップだ。(M)