拓大写真部OB会

   2014/03/23

写真部OB会

「最初で最後のOB会」

7月6日(土)関東地方南部は梅雨明けが宣言された。例年より10日以上早い梅雨明けである。翌7月7日(日)七夕の日に拓殖大学茗荷谷キャンパスに向かった。猛暑の中、茗荷谷駅に降り立った。大学に向かう道は随分と変わっていた。駅の横には大きなマンションができ、1階には大型スーパーが入っていた。明るい雰囲気である。大学に向かう道も広くなり、そして距離も短くなったような気がした。

本館前での待合わせであるが誰もいない。広場の木陰で手招きする老人団がいる。訝しげに近づいてみると「玉盛君だね」「押忍!68期玉盛です」「では会費を徴収します」といわれて会費を差し出した。これが…拓殖大学写真部OB会である。今回のOB会は八王子キャンパスを知らない75期までの写真部OBを集め語り合おうと、最初で最後のOB会と銘打って招集されたものである(八王子キャンパスに入学したのは76期からと聞いていたが、事実は79期からとのことだった)。

卒業以来40数年、その間全然母校に足を踏み入れたことのない拓兄が殆どである。そこで今回は茗荷谷キャンパス、八王子キャンパスを見学しながら旧交を温めようという企画である。40数年間お会いしていない先輩方はそれ相応に年輪を重ねている。街ですれ違っても絶対判らないと思う。かく言う68期の小生も65歳になった。今回参加の最年長は58期の先輩で70代後半でいわゆる後期高齢者である。第三者から見たら後期高齢者集団と思われても致し方ない。

さて、本館1階会議室に参集し、今回のOB会のオリエンテーションを行い、OBの名簿をチェックした。その後大学側から辻総務課長においでいただき、茗荷谷キャンパスの見学会に移行していった。まず、本館横の桂太郎像の前で元気なうちに全員の記念写真を撮った。

拓殖大学ルネサンス事業により茗荷谷キャンパスは大きく変わっている。我々が過ごした頃の建物は殆どなくなってしまっているが、本館(A館)はかろうじて改修にとどまっている。外観は昔の重厚な面影を保ってはいるが全面的な改修により内容はかなり変わってしまっている。我々の入学した頃の部室は本館の地下にあったが、今ではその地下室もなくなってしまっている。一番大きなC館、隣のD館を見学し、建屋の上のほうから現在建築作業に入っている図書館教室棟ができる場所を臨んだ。五丈原、紅葉ヶ丘、麗沢湖は跡形もなかった。旧キャンパスを出て、「国際教育会館」へと向かった。昭和8年に建設された建物は、以前外務省の研修所として使われていたが、その後は平成14年に拓殖大学が取得し、今では「大学院言語教育研究科」の授業を行っているとのことであった。なかなか重厚で歴史的な建造物であると感じた。

さて、猛暑の中また本館会議室に戻り、茗荷谷キャンパスの見学は終了した。この日は日曜日であったため、学生の往来も少なく、閑散としていたが平日は学生でごった返しているのだろう。休日にもかかわらず学内を案内してくれた辻課長に別れを告げ、老人団体は茗荷谷駅から御茶ノ水まで東京メトロで行き、特別快速で高尾へと向かった。

予定よりも1時間ほど早かったが高尾駅近くの料理屋「かずき」に入り、懇親会である。懇親会の司会は64期の大野茂夫先輩が行った。まずこの間に亡くなった数名の拓兄の冥福を祈り黙祷をささげた。そして配られた歌集を見ながら校歌の斉唱である。校歌の1番は覚えている。2番はほぼ歌集を見て歌った。3番は好きな歌詞なので、確認程度に歌集を見るにすぎなかった。拓大に入学した時に厳しい歌集指導を受けたものだが、43年経っても忘れないものである。校歌の後、発起人代表として58期の大内信哉先輩が挨拶を行った。「最初で最後の写真部OB会」の意味合いを話してくれた。

乾杯は参加者中最も後輩で同期5人が参加した68期玉盛正陽が僭越ながら音頭をとった。乾杯すればこっちのもの、あとは乱舞乱踊というのがお決まりだが、とき既に40数年経ち、熱血武侠の紅陵健児もスローライフを味わっているようである。ビールをはじめとした酒類が一向に減らない。猛暑で喉が渇いたせいでビールはすぐ無くなったが、追加のビールの少なさはあまりにも寂しかった。焼酎などは2升頼んであったが、1本の半分ほどしか飲まず。1本はキャンセルする始末である。そこはそれ、酒など飲まずとも同じ釜の飯を喰った仲間である。無礼講にて昔話に花が咲く。順番に1人ずつの近況報告を行い、そこに野次が入り、和んだ。そして最後は、62期の酒井正陽先輩の音頭で「押忍三唱」を行い締めくくった。

懇親会場を出てタクシーに分乗し、拓殖大学北門に向かい、そこから徒歩で「国際交流会館」で再集合した。2人1部屋で部屋割りがなされていて、部屋に入り入浴後、1階の会議室に集まり宴会の続きである。余った料理と美酒で消灯時間まで楽しい時間を過ごした。この時間の最後に「序文」をやれ!ということになり、65期の立木寛彦先輩が歌集を見ながら「序文」を唸った。そして「興亜の雄図」カチマス踊りと続いた。盛り上がった。物足らないということで「蒙古放浪歌」をやろうということになり、66期の日置聰先輩の音頭で全員大きな声で蒙古放浪歌を歌ってお開きとした。昔にタイムスリップしたようなひと時であった。

7月8日(月)、朝は8時に朝食であるが、6時ごろには皆起きだしてうろうろしている。やはり年寄りは朝が早い。食事時間まで間が持たない。食堂の方も気を利かせてくれて15分ぐらい早く食事をさせてくれた。今日は八王子キャンパスの見学であるが、案内をしてくれる大学の職員の方が宿舎に迎えに来るのが10時とのことである。しかし、宿舎のご主人が大学に連絡して30分早めてもらった。

案内役で迎えに来てくれたのは管財課小林担当課長と庶務課加藤氏。荷物を持っての移動は大変ということで、宿舎に大きな荷物は預けて身一つで見学に向かった。東京ドーム23個分の敷地面積を誇る八王子キャンパスはあまりにも広く、徒歩で移動するのは大変だが、学内は徒歩での見学となっている。

第1体育寮、第2体育寮の脇を通り、第2体育館、第1体育館を少し覗き、B館、A館、C館と内部を見ながら進んでいく。その間、陸上競技場や大きな自転車置き場などがあった。ともかく広い、そして暑い、これは自転車でも入構出来るようにしないと大変だと質問したら、「自転車の事故が起きるとその処理が大変なので構内は徒歩と決めた」ということである。足腰が鍛えられていいのではないかと言う者もいる。ビッグテント、図書館と見学し、折角なので写真部の部室を見せてもらった。幸い学生が1人いて中を見せてもらうことができたが、昔も今も部室は散らかっており雑然としていた。

その後、恩賜記念館に行きここで少し休憩ができた。そして特別展示室を特別に見せてもらった。この建物の前で記念写真を撮り、昼食は「カレッジハウス扶桑」の食堂にて行われた。ここには現在の写真研究会部長の仁木先生が同席され、最近の写真研究会の様子を話していただき、部員の証である徽章を1個ずついただいた。そして食事、暑いので冷たいビールをグイーッと行きたいところだが、ここは校内、酒類の販売はないそうだ(残念)。

食事が終わると解散。今回のOB会が終了である。名残惜しいが、大学職員の方が宿舎から荷物を運んできていただき、それを持ってタクシーで高尾の駅へ向かう。別れ際、最初で最後のOB会だと言っていたが、またやろう。ということになり3年後ぐらいにまたやろうと皆別れていった。

北海道旭川から九州宮崎、長崎まで19人の写真部OBは1人また1人と普通の老人に戻り、明日からまた普段の生活を歩むのである。しかし今回の再会はいつまでも心に残るひとつのきっかけにはなったであろう。押忍!

(文責 玉盛)

今回参加した写真部OB(敬称略)

58期

大内 信哉(東京都板橋区)
岡本 輝夫(千葉県我孫子市)

62期

酒井 正陽(愛知県丹羽郡)
大井 博文(埼玉県川越市)

63期

矢澤 建三(埼玉県狭山市)

64期

大野 茂夫(岐阜県岐阜市)
大塚 誠(長崎県長崎市)
吉原 宏(長野県長野市)

65期

立木 寛彦(東京都中野区、プロの写真家として活躍中)
伊藤 博信(神奈川県横浜市)

66期

日置 聰(北海道旭川市)
野田 豊昭(宮崎県宮崎市)

67期

濱田 純一(大阪府松原市)
山口 憲四郎(石川県金沢市)

68期

進藤 博秋(神奈川県横浜市)
矢吹 正之(東京都西東京市)
水村 卓雄(埼玉県さいたま市)
岡部 郁男(神奈川県鎌倉市)
玉盛 正陽(東京都新宿区)