2012年師走のドイツにて

   2014/03/29

2012年師走のドイツにて①

「押忍!中本先輩」「押忍!」フランクフルトのホテルで交わした「押忍」の挨拶で25年の歳月が一瞬にして若かりし当時に引き戻された感じでした…。

私が卒業して10年余過ぎた1987年5月の連休明けにモスクワ経由でフランクフルトに到着しました。仕事の関係でヨーロッパ駐在員として家族供々当時の西ドイツに赴任になりました。前任者との引継で駐在員の保険・不動産関係でお世話になっておりました中本社長を紹介頂き初めてお会い致しました。実直で精悍な、また、どことはなく純朴な印象で頼れる兄貴といった感じでした。お話するうちに拓大の相撲部出身とわかり驚きました。「押忍!自分も拓大で74期です」ここから私達のドイツ生活では忘れることの出来ない恩人で公私にわたり何から何までお世話になったのが中本先輩でした。

ここに至るまでには、最初にご自宅にお招き頂きお料理とワインを頂きながら「何か一曲聞きたいなぁ…」「押忍!では『蒙古放浪歌』を」「う~ンもう一曲」「押忍『無題』を」と数曲を歌ったあと、「オスは拓大だ!」と言われ、思うとあれは簡単なテストだったような気がします。それからと言うもの、街中で車のバッテリーがあがり動かなくなり、電話「押忍 先輩、困ってます」「そこで待ってろ!」と直ぐに飛んで来て下さいました。また、BBQパーティにもよくお呼び頂きタウナスの山々(フランクフルトの郊外)で地元の人達とドイツの生活を満喫させていただきました。最も驚いたのが、何の話し合いも、打ち合わせもないままフランクフルトから300㎞以上離れた有名なあの古城「ノイシュヴァンシュタイン城」の裏の吊り橋で先輩ご一家とバッタリ出会い「押忍!ドイツも狭いものですね…」と笑ったことが昨日のように思い出されました。私は、昭和に渡独し平成に帰国、短くもあった3年足らず、帰国後は毎年、近況報告を兼ねた暮れのご挨拶、「相撲のカレンダー」をお送りするだけでした。その後、仕事でドイツに行きましたが、先輩にご連絡するも残念ながら予定が合わず、いつもお電話だけで失礼しておりました。

今回、私が還暦を迎え定年退職、一つの区切りとして「かみさん孝行」を兼ね(因みに家内も拓大76期です)、このシーズンで一番楽しかったクリスマスマーケットのドイツへ行き、当時、お世話になった方々にお会いするのが目的でした。念願の中本先輩にも再会でき、お忙しい中を、昔に暮らした家、近所の公園、娘の通った幼稚園、ショッピングモール等を車で廻って頂き改めて年月の経つ早さに驚きながら昔を懐かしみ、また一つ大きな思い出づくりとなりました。

途中にフランクフルト日本人国際学校の岡村校長先生(拓大73期)にもご挨拶させて頂き、短い時間ではございましたが、昨今のフランクフルトの様子と海外で活躍の拓大の諸氏の話で大いに盛り上がりました。勿論、他大学の出身者にも多く海外で生活している方はおりますが殆んどが数年で帰国されます。中本先輩のように現地に根を下ろし40余年に渡り、そういう方々のお世話をしながら、また欧州で日本の国技「相撲」の振興に努め、人材を発掘し大いなる貢献と活躍をされている拓大の先輩にあらためて誇りと尊敬の念を抱き、拓大のすばらしさを痛感し大きな元気を頂きました。終わりに際し中本先輩のますますのご活躍とご健勝をお祈り申し上げ御礼と報告とさせて頂きます。ありがとうございました。押忍

串田裕司(74期)

2012年師走のドイツにて②2012年師走のドイツにて③