高校野球春季四国大会 拓大出身監督対決

 

球場風景

5月3日から5日まで、高校野球四国一を決める春季四国大会が愛媛県松山市の坊っちゃん球場で行われました。

優勝は、拓殖大学出身の馬渕史郎監督が率いる高知県の明徳義塾高校でした。しかし、拓大卒業生の最大の関心は、準決勝、後輩中本恭平監督(代行)が率いる松山聖陵高校と明徳義塾高校との拓大OB対決だったようです。結果は、10-0の6回コールドで先輩の馬渕監督に凱歌が上がりました。

ここに至るまでには、数々のドラマがあったのです。その一つは、この大会の1回戦でした。松山聖陵は、7回まで相手の香川西高校に完全に押さえ込まれ0-6と敗色濃厚な状況でした。ところが8回裏に中本監督が鍛えた打線が本領を発揮、打者一巡の8点を入れ逆転勝ちを収め準決勝戦に駒を進めました。

準決勝の相手は、先輩馬渕監督が率いる明徳義塾です。今春のセンバツに出場し、大逆転で勝ち上がり大いに士気が上がる松山聖陵でした。しかし拓大の先輩であり、高校の恩師であり、叔父でもある高校野球界の名将は、勝負の厳しさを完膚なきまで中本後輩に教えたのです。0-10のコールドゲームでした。

馬渕監督

馬渕監督

中本監督

中本監督

もう一つのドラマは、私達が拓大で学んでいた時代は、空手道部、柔道部、レスリング部、ボクシング部の格闘技が強く、野球部は肩身が狭い雰囲気でした。歴史的に格闘技の部に引けを取らない野球部の選手や卒業生には忸怩たる思いがあったことが容易に想像が出来ます。しかし、野球部員達は涙ぐましい不断の努力を続け、2013年(平成25年)秋に東都リーグ1部に昇格しました。その中で一番効果を上げたのは馬渕監督率いる明徳義塾高校から多数の有望な選手を母校に進学させたことにあります。その一人が中本選手です。もう一つは、現在の野球部OB会長土方範孝氏と馬渕監督が家庭を顧みず大学の評議員となり、野球部に力を入れることを大学の方針にさせたことです。具体的にはグランドや寮の整備ですが、極め付けは、2006年(平成8年)の東都1部リーグで最多の優勝回数を誇る亜細亜大学から、当時総監督の内田俊雄氏を招聘したことです。近年は、努力が実を結び軌道に乗り、プロ野球、社会人野球、高校野球の指導者に多数の卒業生を輩出するようになりました。昨年春季四国大会優勝校の香川県大手前高松高校で社会科の教師として教鞭を執り、野球部のコーチを務める岡田朋也氏は、中本監督の同期(109期)です。

このような努力は現在も進行していますが、さしあたっての目標は、東都1部リーグと全日本大学野球選手権大会での優勝です。学友の皆さん「キットカチマスカタセマス」で応援を宜しくお願いします。

私が在学中、野球部の選手には、愛媛の三瓶高、南宇和高、新田高などの出身者が多数いました。愛媛の学友の皆様、有望な選手がいましたら是非、ご一報をお願いします。

石井義夫(77期)