第11回 東京学生会館・拓大寮OB会
7月13日(土)午後4時から茗荷谷「茗渓会館」で第11回東京学生会館・拓大寮OB会を開催した。過去10回開催してきたが「茗荷谷たより」に掲載するのははじめてなので、まず、東京学生会館と拓大寮のことについて記したい。
東京学生会館は、終戦直後、現在の「北の丸公園」(武道館の奥地一帯、千鳥ヶ淵内側)に存した近衛歩兵第1連隊の空き兵舎に拓大生が国内外からの復学学生の寮とするべく先鞭をつけ、昭和21年東京学生会館として認可され、都内28大学6百余名収容の自治組織寮として発足した。そのうち拓大寮割当て収容人員は7室27人である。爾来、昭和41年新設寮として下落合に移転するまでの22年間、俗に「東京学生会館・拓大『オス部落』寮」として歴史を綴ってきた寮である。その間、拓大発展のために数多の先輩を輩出してきた。藤渡辰信拓大元総長・理事長(54期)、村上正邦元自民党参議院議員会長(同)、降矢孜元学友会事務局長・応援団長(55期)、米林(旧姓中村)弘応援団長(57期)、組坂繁之現部落解放同盟中央執行委員長(63期)、小笠原嘉一郎前拓大教授(65期)等である。
さて、第11回拓大寮OB会は、実施要項にしたがい、司会の開会宣言のあと、三節までの歌詞を吟味しながら直立不動で校歌斉唱。
つづいて「いつの間に 世に無き人ぞ 梅雨寒し」(高浜虚子)、昨夏、心ならずも急逝された福士秀治先輩(58期)の悲報を報告し、無常の世を恨み、鬼籍に入られた物故OB慰霊のための黙祷。
つづいて斉藤清一会長(63期)あいさつ、OB代表として三重県から出席の大竹長行先輩(59期)から、規律の厳しかった寮生活と楽しかった思い出の回想があった。内容は、学寮で学んだ協調性・忍耐・惻隠の情・縦横の人間間(かん)の絆等、集団生活でなければ習得できない学問以上に重要な「人間形成の在り方」を学び、その後の人生行路に大いに役立った、とのあいさつがあった。「思い出す 拓大寮の 時の事」(野上駄作)」。
この会の発展のお祝いに駆けつけてくれた山田作人学友会事務局長(76期)からは、「母校の現況報告」と、特に野球部が創部(大正9)以来93年にして、初の東都大学野球一部昇格の快挙との報告とあわせて、本日は、関東ボクシング大会で東京農大と優勝決定戦があり、応援のため中座するとのあいさつがあった(後刻、拓大優勝と、全国大会でも拓大優勝の可能性ありとの言及と報告あった)。
定例総会は①年間活動報告②会計報告③繰越金の一部を母校ルネサンス事業に寄付することの提案と承認等を経て懇親会へ。函館前会長(59期)あいさつ後、遠路大分県からわざわざ出席し、会に花を添えてくれた小田拓司拓兄(69期)の音頭で開宴。
卒業以来あるいは何年ぶりかの再会であったが、語り合うことによってその空白を充分埋めることができた。拓大時代の思い出話に花を咲かせ、別れを惜しんで時間を忘れて美酒を酌み交わすこと2時間半、2次会に余韻を残し、恒例により、司会(野上)の「序文」「興亜の雄図・勝チマス踊リ」「拓大エール」「押忍三唱」で締める。
「オスとオレとはよ 紅葉ヶ丘でよ 紅い血汐でよ 結ばれたよ」(オス送別歌より)
「東京学生会館入寮のご縁で知り合った拓大生が、その絆を大切にし、一期一会、お互い健康に留意して、来年再た会いましょう」を合言葉に閉宴の乾杯で散会。
なお、今回の出席者は、掲載写真のとおり13人であった。
来年度 第12回開催について
日時:平成26年7月5日(土)午後4時開会
会場:茗荷谷「茗渓会館」
野上俊明(62期)記