第73回語劇祭

   2014/04/20

第73回語劇祭①

脈々と受け継がれる語劇祭―今日までの語劇祭―

本学は創立以来海外で活躍する人材の養成に努めてきたが、そのためにも語学教育にも当然力を注いできました。

開学時より台湾語、中国語(清語)、英語はもとよりその後もロシア語、朝鮮語、スペイン語、モンゴル語、オランダ語、マレー語等が加えられ語学教育の充実を図ってきた。現在では14か国語に及ぶ外国語を置いて、語学教育を発展させております。この外国語教育の一環として「語劇祭」は長い歴史と伝統を有し、本学の重要な大学行事の一つです。

1902(明治35)年5月、早くも麗澤会第1回大会が開催されました。当時、語学教育に資する為語学部を設け、各語学の権威ある学者や本国人を招いて語学指導や後援会活動を行い、その成果をこの大会において発表したのが語劇祭の始まりです。翌明治36年には神田のYMCA青年会館で内外の大勢の観衆を集め開かれ、一躍注目を浴びました。

1922(大正11)年2月、新宿の牛込会館で第1回の語劇祭が開催され、独立した行事としてスタートしました。

そして、1930(昭和5)年、創立30周年の記念事業の祝賀行事として青山の青年会館において第3回語劇祭が行われ、その後も大学行事の大きな柱として学外の会館等で開催されました。

戦後も1949(昭和24)年に南洋研究会が単独で有楽町・毎日ホールを借りて公演したのが先駆けとなり、駐日インドネシア代表部や外地からの復員・引き揚げ者などで客席は満員で大盛況でした。

都心進出はその後も読売ホール、白木屋劇場と続き、懐かしい異国情緒を漂わせておりました。

1957(昭和32)年6月、茗荷谷ホールが完成し、これを契機に語劇祭を学内で開催出来るようになり、参加語学も多くなり他大学も参加するなど、活発になってきました。

1991(平成3)年、創立90周年記念行事の一環として八王子キャンパスに麗澤会館が完成し、第54回から当会館の90周年記念ホールにおいて開催するようになりました。

このように長い伝統と歴史を今日まで脈々と受け継いで本年(2010年)は第73回を迎えました。

今年の語劇祭のテーマは「世界と私」、12月2日(木)~4日(日)の3日間、参加団体はアラビア研究会、印度・パキスタン研究会、タイランド研究愛好会、コリア文化研究会、中国研究会、英語研究会、インドネシア研究会、ラテンアメリカ研究会の8研究団体。

私は初日の12月2日午後の部、印度・パキスタン研究会とタイランド研究愛好会の舞台を観劇しました。

印度・パキスタン研究会は宇宙飛行士を夢見る少女の物語。タイランド研究会は農村に住む青年が村のため何か役立つことをしたい、とそのヒントを得るべくバンコクに出て、そこで拓大生の日本人に会って…と言うものでした。

出演者の語学力については私は全く判らないので判断出来ませんが、役になりきって本当に真剣に演じており、学生でよくここまでと思うところと、稚拙な面もあり興味深く観ておりました。また1年生、2年生が多く出演しており、短期間でよくここまで演じられるもの、と大変感心した次第です。

出演者のセリフに連動し舞台のスクリーンに日本語訳が映し出されるので、観ている方にとっては大変ありがたかったです。

学生の演劇らしかったのは舞台の背景や舞台装置が変わるたびに、照明を消し裏方のスタッフと出演者が一体となって、作業をしていたことです。

そして面白かったのは劇が終わり幕引きのとき観客の学生、OB・OGから「おひねり」ならぬお菓子類がボンボン投げ込まれることです。

いつの頃からこういうやり方になったのか知りませんが、語劇祭も変わったものだと、感慨深いものがありました。もっとも50何年ぶりに観たのですから、変わるのも当たり前でしょうか。

編集委員・大内信哉

第73回語劇祭②第73回語劇祭③