拓殖大学 第72回語劇祭 観劇の記

   2014/05/06

第72回語劇祭①

初冬の候、母校八王子キャンパス麗澤会館90年記念ホールで12月3日(木)・4日(金)・5日(土)の3日間に渡り、拓殖大学「語劇祭」が盛大に開催された。「語劇祭」は明治35年開催の麗澤会第1回大会に端を発し、大正11年の2月に独立した行事として第1回語劇祭が挙行されてから、本年で数えること72回目を迎える運びとなった。母校拓殖大学で「語劇祭」は「紅陵祭」と並ぶ大きなイベントであり、国際大学として世界の国々を研究している学生サークル・研究会が日頃の勉学の成果を発表する晴れの舞台である。長い歴史と輝かしい実績を有している重要な母校行事の一つである。「語劇祭」の内容は名前が示すように、学生達が参加所属しているサークル・研究会の研究対象としている各国々の言語を用いてオリジナルの演劇を行うものである。開催主旨には、学生達の語学の向上・異文化への理解を深めると共に、その国の言葉・文化・習慣を学生及び一般の人達にも広く学び親しんでいただくことを目的とするとある。第72回語劇祭にはインド・パキスタン研究会、アラビア研究会、コリア文化研究会、インドネシア研究会、中国研究会、中国語会話愛好会の(計)6団体が参加した。今大会のキャッチフレーズは「世界は人で繋がっている」であり、タイムテーブルは以下のとおりであった。

初日 3日(木)

  • 10:00~開会式
  • 11:30~インド・パキスタン研究会(ヒンディー語)演目「未亡人の村」
  • 13:20~アラビア研究会(アラビア語)演目「光のトマト」

2日目 4日(金)

  • 10:30~コリア文化研究会(韓国語)演目「自由を探して」
  • 12:40~インドネシア研究会(インドネシア語)演目「cahaya~光~」

最終日 5日(土)

  • 11:00~中国研究会(中国語)演目「永遠の絆」
  • 13:00~中国語会話愛好会(中国語)演目「我在?川等?醒来」※僕は?川で君の目覚めを待つ
  • 16:00~閉会式

今回、小生は語劇祭最終日の5日(土)に八王子キャンパスを訪問し、中国研究会と中国会話愛好会の語劇を観覧させてもらうことになった。当日は少し早めの10:00くらいに八王子キャンパスに到着し、会場の麗澤会館ホールを目指して足を運んだ。バス停留所より麗澤会館まで大学祭実行委員会(以下、学祭)の手によるものであろう「語劇祭」の立て看板が設置、幟が掲げられており、麗澤会館までの誘導目印の工夫が随所にしてあった。会場までの階段に進行方向を表す矢印やゴゲキの文字を浮かび上がらせるなど、どれもなかなかの力作である。会場前に到着すると、学祭のメンバーが情宣活動として語劇祭案内文章入りのティッシュを配布していた。様子を見ていると先のいろいろな工夫と相俟って、学祭のメンバーの語劇祭にかける意気込みが充分に伝わってきた。情宣している学祭のメンバーに、学友会の広報誌・媒体に語劇祭の写真を載せたい旨を説明し、撮影の許可などについて質問してみた。すると忙しい中にも関わらず、すぐに大学祭実行委員会・編集部部長の「栫(かこい)さん」が駆けつけてくれた。名刺交換などの後、「本日は日本テレビが語劇の取材に来ていてカメラが入る」ことなどいろいろと丁寧に説明をしてもらって、撮影許可の腕章を貸していただいた。この間は時間にすると麗澤会館に到着してから15分程度であろうか、拓大生のきびきびとしたスピーディーな対応は心地よい。これは部・サークル所属ならではのもので、社会に出てからも重視される立派な能力である。現在、学祭は150名ほどの部員を擁しているとのこと。益々の隆盛を願わずには居られない。その後小生は、30分ほど学内を散策して、11:00開演の中国研究会の発表に備えて会場に入った。

会場受付でプログラムと参加団体紹介冊子をもらって閲覧したところ、プログラムの中には各国の大使館より語劇祭開催に祝辞メッセージが寄せられており、これには国際大学としての母校伝統の重みを感じると共に、これから始まる語劇への期待が段々と高まってくるものがあった。会場には、日本テレビの取材陣や審査員(語学の教授・文化局・体育局・総務局と各種委員会の委員長)、関係者父兄を含めて観客が120人~150人ほど入っていた。ちなみに学祭メンバーに聞いたところ、初日は120名・2日目は150名ほどの来客数があったとのことである。定刻になって司会の開演の言葉の後、中国研究会による演目「永遠の絆」(中国語劇)の幕が開いた。物語は、主人公「正男」が中国の育ての母の墓前で昔を回想するところから始まった。満州事変の激動の中で、日本人の生母と生き別れに成ってしまった幼い「正男」は中国人の温かい家庭に保護された。数年が経ち、中国の育ての父母や家族の愛情の下で「正男」が成長したところで、生き別れた日本の母の捜索が「正男」を発見したことによって急遽母国の日本に帰ることになってしまうという、人の出会いと悲しい別れを丁寧に描いたエピソードであった。特にシナリオに重点を置いたということであるが、実際に存在している「中国残留孤児問題」をモチーフとした家族の絆・平和と日中友好を観客に考えさせる内容であった。小生の感想として、語学の流暢さは基より、役者の演技もなかなか上手で、細かいところも良く表現されていたと思う。1時間ほどの舞台であったが、演劇を成立させるために相当な練習量が窺われた。全体的に劇が観やすい、間が良い、分かりやすいと感じたのは、長い間に中国研究会が培ったノウハウによるものだと思う。物語の時間軸が壮大なのでスケールが大きく、流石は伝統ある中国研究会だと感心した。

中国研究会の演目終了後、昼食・休憩時間約1時間を挟んだ後、定刻より少々遅れて13:30より中国語会話愛好会による演目「我在?川等?醒来」日本語訳※僕は?川で君の目覚めを待つ※の幕が開いた。最終日のトリの演目ということも影響したのであろうか、観客は200人くらいまでに増えていた。中国語会話愛好会の演目は現代劇で恋人たちのラブストーリーであった。四川の大地震で実際に起こった実話をベースにしてシナリオを作成したとのことである。中国語会話愛好会らしく「会話」に重点を置いた語劇であった。物語は主人公である男女の出会いから、幸せな恋人同士を描き、続いて大学卒業後の遠距離恋愛を経て、二人は記念日に再会を約束する。そして再会を約束したその日、待ち合わせ場所を不意に襲った大きな地震の犠牲になって図らずも恋人が死んでしまうという、悲しい別れまでを演じたものであった。幸せな日々を綴る恋人同士の楽しそうな会話が、最後の恋人の死による突然の別れを一層、切ないものに仕立てていた。演劇内容が若者たちのやり取りや恋愛、文化に照準を合わせたものだったので、現役学生は特に共感し、より身近に感じられたのではないだろうか。小生の感想として、上演時間は40分ほどで決して長い時間ではなかったが、まるで恋愛映画のワンシーンとクライマックスを観ているようであった。ストーリーも、良くまとまっていたと思う。ただ、惜しむらくは「世界は人で繋がっている」という語劇祭主旨に沿ったテーマ性が少々弱かったかもしれない。役者の熱演と表現力、そして特に会話力など、こちらも実力に目を見張るものがあったと思う。

中国語会話愛好会の演目が14:00くらいに終了して、16:00より語劇祭の閉会式が行われた。各賞の受賞については以下のとおりであった。

最優秀個人演技賞

演技が最も優れていた「個人」に贈られる賞
中国研究会 斉藤多世(中国語学科1年)

最優秀舞台技術賞

照明・音響・衣装・スライドなど、舞台技術の全てを総合して最も優れていた「団体」に贈られる、スタッフ・裏方さんにとって栄誉ある賞
アラビア研究会

最優秀語学賞

最も語学力が優れていた「団体」に贈られる名誉ある賞
中国研究会

総長杯

語劇力・舞台技術・作品・演技のほか、劇の全てを総合して最も優秀であった「団体」に贈られる語劇祭で最も名誉ある賞
インドネシア研究会

各研究団体の語劇上演の際は、舞台の後ろのスクリーンに語訳が投影される「字幕」が付いているので、小生のように語学が覚束無くても安心して観劇を楽しむことが出来る。最終日観覧からの予測ではあるけれども、初日・2日目の各研究会の演目のいずれもが、力のこもった作品であったことは想像するに難くない。総長杯に輝いたインドネシア研究会の演目など大いに興味が湧いてきた次第である。来年も機会があれば、観覧のために足を運びたい所存である。小生の私見で恐縮ではあるが一言、各語学研究団体のOB・OGの方は語劇祭の開催日程に合わせて、OB・OG会を催してみてはいかがであろうか。大勢のOB・OGの観覧は張り合いとなって、きっと後輩たちも喜んでくれるのではないだろうか。結びとして、母校と各研究団体・関係団体の益々の発展とこれからも語劇祭が連綿と続いていくことを期すると共に、72回語劇祭が無事に開催出来ましたことを心よりお祝い申し上げたい。

87期 三上英則 記

第72回語劇祭 観劇の記 あとがき ~雨~

5日(土)は、八王子キャンパスに出かけるために家を出た時分は曇り空であった。そのため、曇天模様ではあったが「もしかしたら、雨は降らずに天気は持つかもしれない」と甘い見通しで傘も持たずに出かけてしまった。八王子キャンパスについた10時頃は、まだ雨が降っていなかったので、開演前に拓魂碑に手を合わせて、紅葉館、恩賜記念講堂、脇光三先輩の碑と棗の木などを見るために、ぶらりと散策していた。何しろ八王子キャンパスを訪れるのはかなり久しぶりのことである。11時の開演前に合わせて麗澤会館に向かって歩き始めた時分からぽつぽつと雨が降り始めた。それでも「そんなに強くは降らないだろう」と特に気にもしないで麗澤会館に入った。中国研究会の演目観劇後、休憩昼休みの時間ということなので、どこかで昼食をと思って外に出てみると雨が結構降っていた。しかし傘を差さずに歩いている学生も居たし、多少濡れるのを厭わなければ外を歩けるくらいの降り方であった。食事後、学生ホールでお茶を飲みながら、語劇祭のプログラムや各国大使館からの提供と思われる持ち帰り用の小冊子などに目を通していたら、すぐに小1時間が過ぎた。後から思えば、この時に購買部に寄って「傘」を購入するべきだったのである。雨の降り方は昼食前と変わりなく、特に拘らずに午後の中国語会話愛好会の演目を観劇するために麗澤会館に入った。席を確保して、開演待ちをしていると佐藤清志先輩が観劇にお見えになった。佐藤先輩は小生が学生の頃からお世話になっている先輩である。中国語会話愛好会の演目が終了した時間は14時頃だった。この後の16時開催の閉会式まで「2時間」の時間があり、これをどこかでつぶす必要が出てきた。晴れていれば外で時間をつぶすのは然程難しいことでもないが、雨で傘無しではおいそれと出歩くことも出来ない。図書館に向かうことにしたが、麗澤会館から図書館は少し遠い。なるべく校舎内の中を通って雨を避けて図書館に行くことにした。ピンチを迎えると頭が働くように出来ているようで、もしくは身体が拓大校舎に反応したのだろうか、意外と校舎内の道筋を覚えていて、思ったよりも雨に濡れずに図書館にたどり着いた。図書館入り口の横で新聞を何紙か閲覧した後、館内入り口から馬先生の画いた水墨画を懐かしく眺めていたら、職員の方がすぐに小生に気付いてくれて「父兄の方ですか?OBの方ですか?」と尋ねてくれたので「OBです」と答えたところ、見学依頼の用紙を持ってきて下さって入館証を貸してくれたので、久しぶりに図書館の中を見学することが出来た。入学志願者や、その親御さんであれば図書館などの専門設備の充実に恐らく興味があるだろうと予測される。入学志願者や親御さんが見学に来たときに小生のように親切に対応をしてもらったならば、とても嬉しく思うのではないだろうか。どなたか名前は存じませんが、ありがとうございました。1時間程度、図書館内で見学や少々閲覧などをさせていただいた。図書館を出ようとしたところ、雨は本降りになっており、かなり強く降っていた。図書館に来たときの道を逆に戻っても、かなり雨に濡れてしまいそうだった。図書館出入り口で少し雨模様の様子を見ていたが、一向に弱まる気配はなかった。16時の少し前には麗澤会館に戻らねばいけないと意を決して図書館を後にした。雨に濡れながら麗澤会館に向かっていると前から歩いてくる人に「おい、三上君」と声をかけられた。誰かと声の主をよく見ると86期の来田先輩だった。来田先輩に「どうしたんだ、傘は無いのか?」と問われて、「家を出た時分は雨が降ってなかったものですから・・・」と話すと、「雨に濡れていたら良い男が台無しだ、俺は携帯の傘を持っているから・・・」と言って、手にしていた傘を「これを持っていけ」と下さった。「じゃあな」と立ち去る来田先輩の後姿に「押忍、どうもごっつあんでした。失礼します」と挨拶をして麗澤会館に向かった。来田先輩とお会いしたのはかれこれ何十年ぶりだったが、なぜかいつも顔を合わせているかのごとく自然だった。雨の中でのやりとりだったこともあり、時間にして1~2分くらいだっただろうか。来田先輩のお陰で、雨の呪縛から解放された。今、思い出すと図書館を出るタイミングが少しでも悪かったら来田先輩と出会っていなかったかもしれない。拓魂碑の先輩のお導きであろうか。拓大特有の不思議な絆や縁というものを意識せずには居られない出来事だった。語劇祭の閉会式に出てみると、小生の同期である87期の野村が出席していた。閉会式終了後、「おお、久しぶり」と声を掛け合って、野村から「三上、車で来たの?それともバス?」と尋ねられたので、小生が「バス」と答えると、この時間は高尾駅行きのバスは15分おきの発車だと教えてくれた。時計を見ると16:40だったので、45分発車のバスに乗って帰ると挨拶をして急いでバス停留所に向かった。帰りの家路は来田先輩からいただいた傘のお陰で雨の心配も無く、スムーズかつ無事に帰宅することが出来た。

(追記)来田先輩、その節は本当にどうもごっつあんでした。

第72回語劇祭②第72回語劇祭③