ドイツ39星霜の春を迎えて
商学部・貿易学科・68期生 相撲部 中本淑郎
私は、かつて「志は世界に」と若き桂太郎公爵が留学されたドイツに住み39年目の春を迎えた。拓大歌集にある「馬賊の歌」ではないが、40年近くもたつと今では「俺には父も母もなく、生まれ故郷に家もなし」の身となった。しかし、妻と3人の子供そして2人の孫が居る。国際情勢は刻々と変わり続ける、一喜一憂なんかしてはおれない。
創始者桂太郎公が唱えた「積極進取の気概とあらゆる民族から敬愛されるに値する教養と品格を具えた優秀な人材育成」、 まだこれには遥か及ばないがヨーロッパ相撲連盟(約30ヶ国)の役員を長く務め、現在国際相撲連盟の常任理事の任を受け、連盟「公用語」は英語由、この重責を担うため、目下ドイツ語は休場し、英語に挑戦中である。
「人種の色と地の境我が立つ前に差別なし」と特に60半ばよりが人生最終章・総仕上げの時とエネルギーを燃やす今日の自分である。今がある自分の原点は、やはり学生時の死ぬほどきつかった猛稽古を耐え抜いた4年間、それが私の誇りでもあり、出発点でもあると思える。大学より初めて相撲を始め、学3・学4年と、正レギュラーとして母校に貢献できた。
戦績
- 団体優勝3回 大学全国選抜宇佐大会、高知大会、全国選抜大学・実業団刈谷大会
- 全国学生相撲選手権第47回大会を含め団体二位4回
- 全国学生相撲選手権第46回大会団体三位
- 第48回東日本学生選手権大会個人敢闘賞
学友会会長である松村豊(元日本相撲連盟会長)大先輩は我々に大会毎「チャンコ」を囲みながら勇気と希望を語ってくれた。今でも懐かしい思い出でもある。
同期の68期生応援団にかこまれて
写真は第48回大会、S44年蔵前国技館於
東日本学生選手権大会、団体2位、中本前列右より2人目、後部に同期の中島武団長と鶴岡正彦氏その他。又その他68期の同期の桜には鈴木宗男氏、鈴木善行氏もいる。当時我々の時代の拓大は伝統ある相撲、柔道、空手部が強かった。今はレスリング、ボクシング。そして陸上部も強いと聞く。4年間は過ぎ去れば短い。卒業してからが本当の闘いである。全員頑張れ!ドイツの地より後輩諸君の活躍をいつも楽しみにしている。
最後に、先輩に感謝して
私の3年前に亡くなった母は21年間ドイツに滞在した。子供ができ、生活苦しく、ワイフにも働いてもらう為、母をよんだ。滞在ビザがおりずに旅行ビザでドイツによんだ。しかしそれからが、大問題。出国するように言われ通知受けること4回。困り果て、デュッセルドルフ在住の63期長井昭夫(空手部)先輩に相談したところ、一言「入口を相手にせず州政府の外人局総長と交渉するしかないな」、「弁護士をたてても無理だよ」と。私は押忍の精神でその通りに行った。1年半ほどかかったが、最終的には永久ビザを取得することができた。当時、私自身ドイツ語が上手でなかったにも関わらず、これぞ「押忍の精神」、若さと信念、忍耐でとったようなものであった。
滞在ビザ:夫婦・子供は一体、しかし母は100%第三者とみなされ、ましてや単なる旅行ビザ入国で州政府外人局総長と交渉し(1976~1977年代)永久ビザを取得できたことは不可能を可能にしたといえる。このハードな戦いは体験したもののみしか理解できないであろう。カウスな時代でもあった。
今では、言う方も言う方だが、その通りにやった方もやった方だと美酒を酌みながら大笑いで先輩と当時を語る。先輩、ダンケシェーン!押忍 英語でoath(オース)とは「誓う」という意味である。
平成23年1月