中国研修旅行(大城幸博)

   2014/04/20

2009年度海外研修(武漢・上海)②

拓殖大学北海道短期大学経営経済科2年
C21009 大城幸博

1.事前研修

はじめに中国研修旅行の事前研修を行ってくれた小滝先生、小林先生、任先生、中国海外での豊富な経験、体験談、諸注意、御指導ありがとうございました。

事前研修では小滝先生から海外での諸注意アドバイスなどを受け、更に貴重なモンゴルでの体験談まで聞くことができました。日本人は狙われやすく、無用心だと聞き、そしてどのような所に気をつけたほうがいいかなどのアドバイスを受けました。それは、派手な格好はしない、貴重品財布等を後ろポケットに入れない、かばんは体の前にして持つなどです。

昨年度の中国研修旅行に参加した3名、鬼原さん、佐藤さん、原口さんからも現地での体験など聞けてなんとなく現地の自分なりのイメージを作ることができました。3人には中国現地のことで質問しようとしましたが、何でもある日本に住んでいるので何がなくて何があるなどのイメージが湧かなくあまり質問できませんでした。そして後日、小林先生、任先生、菊池君合同で最後の事前研修を受けました。その時には中国でもしもといった場合の様々なフレーズ、道に迷った時、バスに乗るには、これはいくらですか?等など、その他にも小林先生が色々な場面を想定してくれ、任先生にその場面、場面のフレーズを教えていただきました。事前研修のおかげで様々なことを知り行く前の不安も消えました。

2.武漢着

2月28日、9時間の移動時間を経て武漢空港に到着し、そこからバスで一時間あまり、湖北経済学院に向かいました。道中花火の音が聞こえ見渡すと360度色々なところから花火があがっていました。何かのお祭りかと思いきやその日は中国の旧正月の最終日だったそうです。着いてそうそう中国の文化を見ることができました。

長旅を終え湖北経済学院に到着しました。どんな寮に泊まるのか不安でした。がしかし案内されたところは日本にもあるようなホテルのようでした。液晶テレビ、風呂、トイレも完備され部屋の鍵はカードキーでした。こんな良い所に泊まっていいのだろうかなど蟠りを感じつつ翌日を迎えました。

3月1日、いよいよ入学式です。離れの建物で行われました。部屋に入ると「ようこそ!日本拓殖大学代表の皆様。歓迎します。」の垂れ幕がありとても感銘を受けました。副学長の挨拶などがあり、それを国際学部アシスタントの清水太郎君が私たちに通訳して話してくれました。副学長は日本と中国の関係がこれからよりいっそう盛んになることを望んでいるとおっしゃっていました。湖北経済学院の敷地内には3万人の学生や先生方が生活しているそうです。敷地内を歩いていると市営住宅のように建物がならんでいました。聞くところによるとその建物は学生や教員の宿舎だと聞きました。

2日から16日まで14日間、授業や学生交流が始まりました。授業は優しいテストを受け10名程の2クラスに分かれました。授業が始まり言葉の壁に相当な不安もありました。しかし、私たちを受け持ってくれる先生は英語が上手でした。授業中の説明は英語と中国語で日本語を使う機会はありませんでした。授業の内容は主に用意されたテキストで書くことよりも文章を読んだりコミュニケーションをとるのが優先でした。そして母国語を使わず英語と中国語を駆使して先生とコミュニケーションをとるので買い物をしたり食堂でご飯を注文したりして、中国語が上達した自分を実感することができ、また留学生の気持ちも味わえました。

午前中は授業で午後はだいたい自由行動か学生交流でした。人見知りな私はあまりうまく中国の学生と接することができませんでした。相手側から話しかけられたのですが日本と中国の昔の戦争の話を聞かされ大分へこみました。”Are youteacher?”と聞かれたこともありました。やっぱり老けて見えるのでしょうか。

大学の外に出るとそこにはスーパーや美容室、中華料理屋にビリヤード場などといったお店が並び多くの学生は学校が終わるとそこで飲んだり食べたりしていました。仲良くなった国際学部の学生7、8人でそこに中華料理を食べに行きました。たらふく飲んでたらふく食べて気になるお会計が100元ぐらいでした。それは日本円で1400円ぐらいなのには驚きました。その中華料理屋4・5回通っているうちにお店のマスターや従業員となかよくなりマスターからタバコをいただいたこともありました。中国では自分のタバコを親しくなった相手にあげるのが習慣になっているそうです。

私たちの泊まっている寮にも食堂があり3度ほど先生たちや職員、大学の副学長や職員の方々と食事をする機会もありました。各テーブルにワインボトル、中華料理が運ばれ歓迎され食事が始まります。先生方に進められるがままにみんなお酒を飲んで顔が赤い人、酔っている人もいて先生方は満足そうにしていました。中国の白酒(バイジュウ)このお酒は52度もありかなり強烈でした。午前中の授業が終わり昼ごはんの会食の時にもお酒はでてきました。先生方も飲んでいたのでこれで一日の仕事が終わりなのかな?それとも職務に戻るのだろうかと疑問に感じました。

週末は小旅行や武漢の街中でショッピングを楽しみました。三国時代に建てられた黄鶴楼(ホワンフーロウ)高さ51.4メートル5層からなる姿は美しく最上階からは景色を満喫できました。また中国の有名な長江。その中流域の三峡一帯に建設中の大型重力式コンクリートダム(三峡ダム)、日本で見たことあるダムよりはるかに大きく船も通ってました。

三国時代の塀に囲まれた小さい町などがありました。この町は国から重要文化財に指定されていて高層ビルなど建築物等さまざまな規制があるため経済発展が遅れているそうです。中国はどこに行っても見るものにはあきません。

街中でショッピングを楽しんだり食事をしたりしました。日本で最近新聞などで取り上げられている電気スクーターが中国の街中ではすでに普及しており、デパートに入り自転車コーナーに行くとそこで電気スクーターが販売されていて日本円で3万5千円ぐらいでした。街中は人、人、人、車、バイク、自転車でごった返しており横断歩道の信号もあってないようなもので、道を横断するのに慣れていない私たちは横断するタイミングをつかむのに必死でした。一番思い出に残っていることがあります。それは拓殖大学の国際学部の留学生アシスタントの陳さんの地元が武漢ということで研修の途中にアシスタントとして合流しました。彼女の親はお医者さんらしく武漢の有名なレストランを予約してくれてみんなで食べに行きました。高級食材も多い中、何を注文しようか迷った結果私は蛙と鳩のこどもを注文しました。両方とも美味しかったですが蛙の味は鶏肉に似ていました。食事が済み各自自由行動になって私は仲良くなった国際学部の清水太郎君たちと行動を共にしました。何をするか話し合った結果ボーリングをすることになりました。まずはボーリング場を探さないといけません。太郎君が道行く人に聞いてみましたがなかなかみつかりません。ようやく場所を知っている人にめぐり合いました。聞いてみるとボーリング場自体は昔に潰れていて今はEAST SIDE HOTELの中にしかないという事でした。そのホテルに向かいボーリングをしたわけですが私たちだけの貸切で一人20元でした。ボーリングを終わったあと街中を観光し、買い物をし、夕食も街中で食べていくことになりました。向かった先はデパートの最上階です。そこは韓国焼肉のお店で窓側は大きなガラス張りの他夜景も綺麗で高級感が漂っていました。太郎君がここにしようよと言って金額を心配しながらも入りました。入ってみると明らかに上流階級の身だしなみのいい人たちが食事をしていました。そういうところに18、19、20の若者がつかつか入ってくるのをみんなジロジロと見ていました。ここでも肉をたくさん食べ青島(チンタオ)ビールを飲みました。8人で700元ぐらいでした。この日一日の生活はまさにセレブでした。日本で同じ行動をとったら10万コースだなと思い物価の違いの凄さを感じ鳥肌が立ちました。

3.上海にて

3月17日無事終了式を終え、18日に上海に向かいました。最初のうちは中国での時間がたつのが遅く感じましたが、充実の毎日だったので湖北経済学院での2週間弱はとても早く、日本に帰る時間が近づくにつれて寂しさを感じました。

武漢空港から1時間30分、上海に到着しました。上海の町並みはとても美しくきれいでしたが、万博が迫っている中色んな所で工事が始まっていました。すべての工事が終われば更にきれいな町になっていると思うのでその時にまた足を運びたいです。上海はほんとに都会で日本人や外人が多くファミリーマート(全家)、セブンイレブンなどの日本のコンビにもありアサヒスーパードライが日本円で90円ぐらいでした。日本と比べると大違いです。

夜は一年生のとき観光産業の授業でお世話になった和田先生の教え子が上海でレストランとBARを経営していると聞いていたので清水君たちと行くことになりました。清水君も本校で和田先生の授業を取っていて知っているとの事でした。中国から北海道拓殖大学に連絡して和田先生から相手先の連絡を聞いていたので連絡してみるとホテルからタクシーで5分ぐらいの所らしいので行ってみるとシンプルでお洒落な隠れ家的なBARでした。そこで会ったのは和田先生の教え子の一人、有馬君という方です。もう一人の中川君という方にはお会いできませんでしたが、有馬君とは上海での生活状況など聞くことができました。こうやって海外で生活している人に出会えてとてもエネルギーをいただきました。連絡先を知っているのでまた行くと会えるという事は自分にとって上海とのパイプが少なからず繋がったことは宝だと思います。

上海でも色々な事がありました。街中の人民広場を歩いていると一緒に行動している交際学部の人に大城君、無用心だよと言われ腰に巻いているポーチを見ると10㎝ぐらい開いていました。中を見てみるといつの間にかデジカメがありませんでした。ポーチを前にしていたらこういう事は起きなかったのに自分の無用心さを反省しつつメモリーカードだけでも返してくれないものだろうかと思いへこみました。

4.日本に帰国して

今回の研修を通じて日本に留まらず海外で生活している日本人に会えた事でこれまで以上に積極的にまた計画的に物事に取り組もうと思いました。また、知り合えた国際学部の学生とも色々情報交換していきながら今後に繋げたいです。

実際のところもっと現地の大学で語学の勉強したかったのですが時間が足りず不十分でした。でもこの研修を通じて考え方や視野が広がりました。今回は研修旅行だったのですが拓大編入時の3年には長期留学に行きたいという気持ちが高まり新たに中国語検定などの資格に挑戦しようという意気込みもでてきました。言葉や文化の違うところで生活するのは日本に来ている中国人留学生をみているとすごいことだなと思いました。でも同じ気持ちを味わえたことでこの研修を生かし拓殖大学の精神である”外に羽ばたく”を志し語学勉強に励みたいと思います。このプログラムに参加できたことを学校関係者及び事前研修からこれまで関わってきた先生、職員方に感謝します。そして是非、新しく入ってきた新入生たちにも研修旅行の良さを伝えることができればとおもいます。

2009年度海外研修(武漢・上海)③2009年度海外研修(武漢・上海)④