落つる夕日よ暫 くとまれ 脇光三の碑の上に
昭和六年、校庭摩天林横に建立された、烈士脇光三氏の碑を仰いで、詩人児玉
脇さんは、本学創立当時の学生であったから日露戦争直前の人である。
当時の脇さんは紅顔の美少年であったそうだ。学校を中退して海を渡り、北京駐在の陸軍武官青木大佐から南下露軍の後方攬乱の秘命を受け、沖禎介、横川省三氏等、五氏と嫩江の鉄橋爆破を計画、敵中を潜行、功、将に成らんとして、不幸発覚、逃亡したが、遂に朔北の荒野に、その姿を没し、足跡を絶ってしまったと、云われている。
沖、横川両氏が露軍に捕えられ、ハルピン原頭にて銃殺の刑処せられらてから、はじめてこの企てが、世上に明らかになった。