学部77期恒心寮OB友の会
- 日時
- 2019(令和元)年10月11日(金)
- 会場
- 山梨県都留市
- 人数
- 14人
- 出席者
- 野澤(学74) 小林(学75) 駒形(学76) 伊倉 大塚 臼井 後藤 佐藤 田宮 福島 渡辺 和田 山本 多田(以上学77)
令和元年10月11日山梨県都留市において「第7回(仮称)学部77期恒心寮OB友の会」が開催されました。
77期が学一の時の在籍していた先輩からの参加を、積極的にお願いすると言う趣旨でこう命名しました。毎回事務局としまして、77期が学一の時の74期・75期・76期の先輩に、ご案内申し上げています。
今回の開催には、74期野澤先輩、75期小林先輩、76期駒形先輩の出席を頂きました。加えて77期は伊倉・大塚・臼井・後藤・佐藤・田宮・福島・渡辺・和田諸拓兄と事務局山本・多田の総勢14名の出席で開催することができました。直前に75期菅家先輩が仕事の都合で、欠席となったのは残念でなりません。台風19号が接近中の中、開催を強行した事務局としてはかなりの勇気ある決断でした。
開催当日、車組は現地に10集合し、雨の降る仕切る「忍野八海」を散策しレストランで昼食後電車組を大月駅までお迎えし、地元の造り酒屋「笹一酒造」で試飲を堪能、2次会用の酒を購入。一路宿へ。
宿に着くとまずは酒。各自が持ち寄った山菜料理・各自の出身地の名物・地元猟師からの差し入れ鹿肉のしぐれ煮などをつまみに、各自の近況等を報告しあい早々の宴会モード。恒心寮のいいところの一つが、親しい仲にも礼儀ある上下関係。74期野澤先輩が75期小林先輩に「範冶!元気か?」75期小林先輩が76期駒形先輩に「駒形!卒業以来だな!」76期駒形先輩は77期諸拓兄に「お前ら元気だったか?卒業以来の再会だな!」これらの会話に違和感は皆無。
そして宴会前1時間、各自入浴した後も又飲みながら、あの頃のあの話題で宴会前に大盛り上がり。笑いが外の豪雨を吹き飛ばす勢いだったでしょう。
ここで新潟から出席の田宮拓兄のお土産「新潟の枝豆」をホテルに交渉して塩ゆでにしてもらおうと、事務局山本が交渉したがホテル側としては、持ち込んだ食材の料理は食品衛生上受け付けないとの事で断念! そこで事務局多田が地元のコネを活用して、友人に枝豆の塩ゆでを依頼。大塚拓兄が持参した九州の銘酒も底をついた頃、飲み放題の宴会の時間になったのです。
会場に着くと早速、全員揃っての集合写真。皆さんそれなりに歳はとっても、りりしさ?は変わりませんね(?)尚、今回より和田拓兄製作の恒心寮旗が登場しました。佐藤会長の開会挨拶、大学近況報告に始まり、故人の冥福を祈り黙祷、大塚拓兄の発声による校歌斉唱、伊倉拓兄の音頭で乾杯。そして歓談、歓談、歓談…。
更にここでOB会名物となった75期小林先輩の「松茸焼き」館内を松茸の芳しい香りが充満。(実は又ガスコンロを持ち込んでの鉄板焼きで、ホテルの従業員は見て見ぬ振り)今年の松茸の出来が悪いのにもかかわらず差し入れ頂き感謝の気持ち一杯です。そこに事務局多田の友人池田さんが、大量の塩ゆでの枝豆を持って参上。この新潟の枝豆が本当においしい。(又ホテルの従業員は見て見ぬ振り)持参してくれた田宮拓兄と、茹でてくれた池田さんに感謝です。
宴会の最後は毎回恒例の田宮拓兄の音頭による、押忍三唱で締めて二次会へ。
二次会では、駒形先輩の拓大の歌集に掲載されていない名曲を何曲か披露してもらう。渡辺拓兄の「蒙古放浪歌」。臼井拓兄が朗々と吟する「武田節」。その時諸先輩諸拓兄は、うつむいたり、遠くを見たりしていましたが、その目にはあの恒心寮時代がしっかり見えていた!と感じさせられました。時の過ぎるのを忘れて歓談して、気が付けば深夜。ようやく就寝。(外は豪雨だった様です)
翌朝部屋の中に転がっている一升瓶を避けながら6時半に朝食会場へ。朝からみんなしっかりと食べている姿を拝見し、次回も元気な顔を見せてくれると確信。しかし、テレビでは「台風19号」の上陸直前の様子が放映され高速、電車等交通事情等を考慮し事務局としては朝食後解散と判断しました。台風の上陸前に帰宅できる事を祈りそれぞれ再会を約束して、帰路に着きました。(2日後全員無事確認)
そこでこの記事をご覧の先輩にお願いです。75期76期で出席頂いたのはわずかお2人だけです。是非とも多くの出席を賜りたくご協力願いたいと思います。諸先輩方の消息情報など77期OB会事務局に、お知らせいただければ幸いです。
最後に佐藤拓兄の名言を披露します。「我ら同期は拓大を卒業した。そして出身は恒心寮だ」これぞ我々仲間の誇りです。
次回2年後は茗荷谷か関西で開催と意見が出ましたが台風シーズンと松茸シーズンを考慮して開催したいと思います。
本報告書を書いている内に今回の台風19号による記録的大雨の被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げるとともにこの被害があまりにも大きく生活再建、インフラ復旧は長期化になると改めて痛感した次第です。
山本孝充