拓殖招魂社、拓魂碑秋季例祭
平成26年度の拓殖招魂社秋季例祭が母校・拓殖大学の創立記念日にあたる11月3日(月、文化の日)紅葉が始まりさわやかな秋晴れに恵まれた、八王子キャンパスで厳かに執り行われた。
拓殖招魂社は明治37年、日露戦争のさなか中国で特別任務を帯びて活動中に拘束され、僅か25歳の若さで非業の最期を遂げた第1期生・脇光三先輩を始め、母校関係戦没者395柱が合祀されている。
今年は先の大戦のインパール作戦70周年にあたるが、28期・田中重蔵先輩が同作戦中に戦死されていたことが新たにわかり、この日招魂社に合祀され396柱となった。
この日田中重蔵先輩遺族の長女・田中黎子さん、次女・柳川恭子さんも参列され、70年前を思い起こし玉串を捧げた。
この後引き続き拓魂碑前で秋季例祭が執り行われ、拓殖招魂社秋季例祭に参列された福田理事長はじめ大学教職員、学友会役員、後援会役員、学生代表の列席の下、赤澤会長が式辞を述べ、田中さん、柳川さんはじめ70人の参列者が献花した。この日新たに物故された学友87人が入魂され、合わせて7477人となった。(たより編集)
式辞
謹んで拓魂碑に祀られている全学友、全職員、全学生の御霊に申しあげます。
母校・拓殖大学並びに学友会は建学の理念を遵守し、力強く、かつ逞しく歩んでおります。
世界の政治、経済は今日も混乱の中にあり、中東においては過激な宗教活動が世界を震撼させ、更に西アフリカにおける感染症の広がりが深刻化しております。そして、経済においてもヨーロッパを中心に景気の落ち込みが見られ、先行きより厳しい状況が続きそうです。
国内においては順調に歩んでいた安倍政権は、女性2閣僚の不祥事による辞任と、一転難しい政権運営となっております。去る4月から消費増税が実施されたこともあり、物価の値上がりが続いており、景気は減速しております。
また、今年の夏は記録的な猛暑と集中豪雨による土石流の発生、そして9月には御嶽山の噴火、という大規模な自然災害により、多くの犠牲者をうみました。
そのような中にあって母校・拓殖大学は文京キャンパスのルネサンス整備事業もいよいよ来年3月の完了に向けて建設工事は順調に進んでおります。また、学生・卒業生の各種スポーツ面での活躍もめざましく、学友に喜びと勇気を与え、熱烈な母校愛を作り上げております。これら学生や卒業生に対して全面的に支援を続けており、奨学金の支給も積極的に進めております。
また、目を外に転じますと学友会は、海外支部の協力を得て今日までにブラジル、アメリカ、カナダ、アルゼンチン、台湾などで学友大会を開催してまいりましたが、来年9月にフランス・パリで開催することを決定、準備を始めており、欧州各国で活躍する学友との絆を深めてまいります。
本日拓魂碑に入魂される方々は、先の大戦において昭和19年5月のインパール作戦で戦死され、本日拓殖招魂社に合祀された28期・田中重蔵殿、合気道の指導で世界中を回っていた58期・藤田昌武殿、アルゼンチン支部長・61期・中務信彦殿始め、学友87人が入魂され、合わせて7466人となります。
以上、謹んでご報告申しあげます。
拓魂碑におわします諸先輩の霊位には何卒、母校・拓殖大学、学友会の未来をお守り下さいますようお願い申し上げ、式辞と致します。
平成26年11月3日
拓殖大学学友会 会長 赤澤 徹
期別 | 氏名 | 死去日 |
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学65 | 足立 興示 | 平26・5・19 |
学87 | 安斎 一茂 | 平25・5・4 |
学77 | 池田 欣二 | 平2・10・14 |
学75 | 池田 盛政 | 平24 |
院9 | 石幡 恒夫 | |
学65 | 泉川 芳郎 | 平25・8・6 |
学38 | 井手 及之 | |
短27 | 伊藤 健二 | 平25・7 |
学77 | 稲澤 敬一 | |
専21 | 井上 二郎 | 平25 |
専16 | 今石 貞二郎 | 平26・4・7 |
学44 | 岩本 富雄 | 平26・5・9 |
学74 | 臼田 光夫 | |
学34 | 梅田 一男 | |
学33 | 遠藤 嘉納 | |
学64 | 大西 俊彦 | 平26・9・30 |
学69 | 大湊 澄隆 | 平26・5・19 |
学44 | 緒方 宏 | 平24 |
学88 | 岡本 俊之 | |
学61 | 奥寺 良邦 | 平23・3 |
学48 | 小野崎 忠一 | 平26・3・14 |
拓専7 | 柿ノ迫 一男 | 平26・2・1 |
学45 | 加倉井 増雄 | 平26・8・1 |
学96 | 加藤 大輔 | 平23・5・24 |
学51 | 兼田 勝秋 | |
学66 | 上村 良佑 | 平26・1・13 |
学70 | 河江 重行 | |
学42 | 北林 保 | 平25・2 |
学75 | 草山 信彦 | 平24・12・22 |
学53 | 倉重 豊 | |
専18 | 古賀 義教 | 平12・7・11 |
学68 | 小島 雅廣 | 平26・6・7 |
学49 | 児玉 慶三 | 平26・6・1 |
専17 | 小西 忠 | |
学42 | 小柳 輝夫 | 平25・11 |
学62 | 境野 忠明 | 平22・11・3 |
学59 | 嶋野 清志 | 平26・5・1 |
学61 | 島袋 善吉 | |
学94 | 菅原 孝 | 平21 |
学32 | 鈴木 繁 | |
学29 | 鈴木 長一郎 | |
学35 | 清野 皖 | |
学99 | 関 盛男 | |
専24 | 高橋 栄二 | 平24・8・26 |
学41 | 滝尻 忠男 | 平26・3・3 |
専18 | 田中 義一 | 平23 |
学28 | 田中 重蔵 | 昭19・5・7 |
学43 | 角田 守 | |
学63 | 出口 静二 | |
学44 | 寺井 久元 | 平26・7・17 |
学33 | 冨田 泰純 | |
学61 | 中務 信彦 | 平26・8・18 |
専24 | 仲野 善一 | |
学42 | 野田 平吉 | 平26・7・20 |
学66 | 花島 義介 | 平25・7 |
学61 | 花城 照夫 | |
学64 | 濵﨑 大作 | |
短3 | 速水 兼治 | 平21・6・29 |
専24 | 平野 武 | 平26・1・16 |
専13 | 藤崎 吉次 | 平26・7・25 |
学58 | 藤田 昌武 | 平26・5・28 |
学46 | 藤原 和郎 | 平26・4 |
専19 | 古川 正治 | 平15・6 |
専17 | 星野 勇 | 平25・6 |
学82 | 星野 芳行 | 平26・7・18 |
短15 | 前川 勇 | 平23・11・1 |
専16 | 松尾 重明 | 平23 |
専16 | 松島 恒男 | 平24・9・22 |
専15 | 松本 肇 | 平24・1・10 |
学57 | 三上 雄 | 平26・3・24 |
学42 | 美座 時和 | 平23・6・20 |
学74 | 宮城 調鉄 | 平26・2・14 |
専19 | 宮﨑 金夫 | 平25・12・12 |
学42 | 宮﨑 世雄 | 平26・1・13 |
学45 | 宮沢 保夫 | 平26・6・1 |
専18 | 宮武 一 | 平26・9・18 |
専19 | 村上 学司 | 平24・1 |
学34 | 村島 鉄太郎 | 平19 |
学44 | 本橋 健次 | 平26・5・17 |
学76 | 森 幹夫 | |
学78 | 八木 美知子 | 平26・8・5 |
専16 | 安永 静雄 | 平22・6 |
院13 | 安村 薫也 | 平25・7・10 |
学80 | 山崎 伸夫 | |
専17 | 山城 米夫 | |
学63 | 山田 正敏 | 平26・7・6 |
学40 | 横山 嵩 | 平24・4・11 |
拓殖招魂社とインパール戦没者遺族 NHKテレビで3回放映
(承前)11月3日(文化の日・母校創立記念日)夜6時(全国向け)8時45分(首都圏)10時51分(全国)と3度にわたるNHKニュース番組で「八王子拓大の拓殖招魂社・拓魂碑とインパール戦没卒業生の遺族姉妹」が放映された。これは「茗荷谷たより」(第469号)で既報「インパール作戦から70年 28期田中重三伍長戦死のニュース」(注=紙面の見出しと本文「60年」は誤りにつき訂正。10月20日、54期生の佐々木信男氏から学友会当てご指摘があった。ウカツを反省)
母校総務課が11月3日の秋季例祭に向けて遺族の田中黎子さん・柳川恭子さん姉妹で迎え接伴など詳細に手順を整えていた10月28日(火)の夜、折しもNHKテレビ夜9時55分「インパール作戦から70年」の番組では、日英生き残り兵士(92歳と93歳)再会慰霊祭の模様を放映した。大学創立百年史編纂室(福田勝幸理事長が室長)は機を逸さず、石川章一課長(68期)の同意を得て各紙東京版担当窓口へ向け、八王子国際キャンパスで催される初のインパール戦没者遺族出席をFAXで告知した。これが10月30日(木)のこと。
さらに31日(金)ヒントをいただいたNHK報道局社会部関根尚哉記者にあてても発信した。同記者は前年9月18日に特集「学徒出陣」の取材で文京キャンパス(創立百年史編纂室)に来訪されたことがある。今回は当方から柳川恭子さん(前出)の手紙を添えてFAX広報した。その内容をここに紹介する。
さわやかな秋の季節となりました。
初めてお便りをさせて頂きます。此の度父 田中重蔵のことでいろいろ御尽力を頂きましてまことにありがとうございます。私は昭和15年の生まれです。父は私に名前を付けただけで、生後半月の赤ん坊と一才五ヶ月違いの姉、母を残して出征をしたそうです。外地(中支)に行く前の僅か二・三日を本籍のあった奈良部隊から休暇が出て横浜の自宅に戻れる事になり、そのとき家族四人で撮った写真が親子四人の只一枚残されたものでした。中支に渡った父は本当に筆まめの人で、母、姉、私にと百通を超える絵葉書を送ってくれていました。父にしても姉、私の顔などわからないままなのでしょうが、実に多くの絵葉書を残してくれ、それが私と父につながる形身として今も大切に持ってます。私もまた顔も声もまるで知らない父はとても遠い存在で命日すら忘れてしまう程です。
それが近年になって見えなかった父が俄かに近寄って来てくれる様に感じます。数年前はインパールで戦死した父が烈138連隊に所属していた奈良県の戦友会に出席できたことや、宮澤様や佐々木様のご縁で、拓殖大学の「招魂祭」にお招き下さる事が本当に嬉しく感激一入でございます。
そしてお送り頂きました「茗荷谷たより」に父の事を書いて掲載して頂いた事、嬉しく涙があふれてきました。
十一月三日には姉とともにお目にかかり招魂祭に列席させて頂きたいと思います。本当に色々と有難うございます。深くお礼を申し上げます。
柳川恭子
(原文のママ)
以上の途中経過を大学渡辺総務部長と辻課長に報告し、夜7時ころ新宿駅西口を移動中、ケイタイが鳴った。関根記者からだ。「招魂社慰霊祭を取材に行きたい。遺族の方のインタビューもしたいので、先方の了承を得てほしい」。同夜直ちに田中黎子さんにお伝えした。
翌11月1日(土)9時、文京は入試前日で総務課全員出勤。NHKの八王子取材決定の一報を入れ、広報室への事後承諾伝言も依頼し、招魂社祭祀委員長・福田勝幸大学理事長への届け出も終わって、やっとひといき。これで受け入れ万全の態勢が整った。
11月3日、予報と異なり、素晴しい秋の空。9時55分、高尾駅南口で田中・柳川さん姉妹と初対面。八王子校舎に着くと直ちに7階役員室で福田理事長が出迎え。20分後、理事長公用車で拓殖招魂社登り口の前に着いた(往復とも理事長らは徒歩)。11時開式の前に、祭主松宮兼房子安神社宮司が目ざとくも、遺族がひざに抱いた本日合祀者の遺影を見つけ「どうぞこちらへ」と遺影を祭壇中央に移してくれた。この優しい心遣いに胸打たれた。
開式。合祀の儀で田中重蔵の命(みこと)の名がうやうやしく詠み上げられた。1932(昭和7)年拓殖大学卒業の田中先輩は、第3代学長後藤新平伯の時代に名門麻布中学から拓大予科入学、第4代永田秀次郎(貴族院議員)の時に卒業である。その日から82年7か月を経て霊魂は母校に帰ってきた。玉串奉てんでは福田委員長に続き、ご遺族の姉妹が呼ばれた。
学友会の拓魂碑例祭の入魂式は、無宗教方式のため菊花をささげて手を合わせた。お二人には渡辺利夫総長からも懇切なねぎらいの言葉がかけられた。NHKの取材スタッフ3氏は実に礼儀正しい振るまいで好印象を受けた。招魂社から拓魂碑まで同行、終式を待って田中さん・柳川さんをインタビューした。遺族お二人の対応はよどみなく堂々として、さすが大先輩のお嬢様たちと感服しきり。この日、戦地からの検閲済み軍事郵便およそ百通を謹んでお借りし、貴重資料として石川課長がハガキの両面をスキャンし、お返しした。中国―マレー半島―ビルマと無言の中に描かれた風景で戦地の移動がわかる。
「父は上官から何度も将校を志願するよう言われたそうです。特に拓大中国語出身なので中国人とも理解し合うことができ、注目されたことと思います。でも父は将校になると日本へ帰れなくなると思い、私たちと会いたい気持ちが強く、幹部候補生試験を辞退し続けたそうです」
幼かった姉妹は横浜でB29の空襲を避け、下曽我疎開~終戦後は小田原市内に転居し、県立小田原城内高校を卒業した。いただいた手紙の文章力、そして見事な絵心ともに亡き田中伍長と若くして寡婦となった母君の教養の高さがつくずく偲ばれる一日であった。
菊香る秋の日 拓殖招魂社秋季例祭にお招き頂き姉妹揃って参加させて頂きました 本当にありがとうございました
理事長様はじめ大学の皆様が心優しく あたゝかく迎えて下さり 胸がいっぱいになりました
子安神社の宮司様も両親の写真にもお心遣いを頂き感謝の気持ちでいっぱいです
この度の不思議とも思える御縁のはじまりは 佐々木信男様との出合い そして宮澤正幸様へと結ばれ さらに大学へと 短い時間で結びついて行きました
それには宮澤様や大学の皆様の多大な御力添あっての事と心より感謝して居ります
佐々木さんのお宅で卒業生名簿を見せて頂いた時には 連絡先も何もなくたゞ 田中重蔵の名前のみでした 何とも云えない寂しい思いが頭の中に流れました この度合祀して頂きました事により父の居場所が定まり 子として親孝行が出来たように思えます
恩賜記念館も拝見させて頂き 歴代総長の筆書をはじめ貴重な資料等 さらには普段では拝見できない特別室まで特別な御配慮を頂き拝見させて頂く事が出来 心深く感動を覚えました 心に残る大切な一日になりました
本当にありがとうございました
お礼まで
田中黎子
十一月六日
拓殖大学理事長
福田勝幸様
追伸
帰宅後 いろいろ写真をさがしました所 軍服の父 中支にいたころであろうと思われる中国服を着た父(右側)の写真が見つかりましたので同封致しました 見て頂けたら幸いでございます