拓南会総会
カリマンタン木材輸出入の中島光義氏講演
1922(大正11)年母校入学の鈴木龍男先輩(23期生、商学部1回)らによって創設されたのが拓殖大学南洋研究会―。1935年代は南方雄飛が最高潮で学生の語学熱も盛んだった。1945年の敗戦にもかかわらず南洋研究会(のちインドネシア研究会と改称)は、いちはやく復活した。「拓南会」は文字通り、その研究会のOB・OG会で、在学生をも指導する立場にある。
ことしは5月10日(土)13時半から文京キャンパスF館(国際教育会館=旧外務省研修所)で総会に先立ち、中島光義氏(63期=横浜市)の講演があった。氏は東カリマンタン(旧ボルネオ)タラカン島を拠点に木材輸出業に長期間たずさわった。その経験談は実におもしろく、かつ豊富で、在インドネシア拓大出身者との盛んな交流は往時をしのばせた。
他校がうらやむ団結力いま?
首都ジャカルタで、ある時3年上級の上野勝二郎氏の見事な通訳力に舌を巻いた話。しばしば開かれた親睦会では柳川宗成(専門部10期)水田嘉彦(同15期)石井淑晋(42期)和田盛雄(同)=以上インドネシア独立に尽力した旧軍人たち、いずれも故人=はじめ、日高輝夫、上野(以上63期)などそうそうたる人物との出会い。他大学出身者から「拓大の団結力はすごい」と評判だった。それが最近では下火になって寂しい―。また中島氏がイスラムに改宗した時の話など、まことに貴重だった。詳しく「茗荷谷たより」に投稿してくれれば海外雄飛希望者への有益資料となること疑いなしだ。
新会長に西森氏
総会は
懇親会は茗荷谷本校B館地下1階の学生食堂に移動して17時半から。校歌斉唱、物故会員(65期・酒井征司氏)への慰霊黙とう。この会場から保科光明レスリング部OB(68期)関昌也=元インドネシア語教授(60期)岸澤輝明(79期、八王子学生生活部担当部長、インドネシア研究会部長)が参入して各テーブルを盛り上げた。
出席者
- 大久保喜平(49期、佐世保海兵団―拓大予科―野球部―元日本製紙ジャカルタ)
- 稲川義郎(50期、元野村貿易)
- 宮澤正幸(51期、元レスリング部監督―日刊スポーツ―拓大百年史編纂室専門員)
- 小寺守(53期、貿易会社経営、NHK「軍師官兵衛」の主君と同姓)
- 山本隆治(57期、元ジャカルタ日本人学校長)
- 相馬力蔵(58期、陸上競技部OB)
- 上野勝二郎(60期、栃木県インドネシア友好友の会事務局長)
- 関昌也(60期)
- 栗原秀雄(63期、インドネシア・ナイジェリア架設電線)
- 日高輝代(63期、日高輝夫氏妻女)
- 中島光義(63期)
- 深町(渡辺)敬子(64期、元国際学部インドネシア語講師)
- 保科光明(68期)
- 浅間久幸(68期、元T&K TOKAインドネシア法人社長)
- 佐藤初代(72期、海草問屋社長・拓南会庶務会計)
- 土谷勝男(72期、インドネシア関連貿易会社経営)
- 高川修(79期、サデオインターナショナル社長・拓南会事務局長)
- 岸澤輝明(79期、拓大学生主事)
- 丹木英一(80期、建築会社営業部長)
- 西森茂年(87期)
- 川崎武徳(96期、住友林業)
- 日岡ロナルド(96期、会社経営)
- 乾好太郎(102期、鎌倉大佛高徳院渉外担当)
- 永井建士(4年)
- 西山浩介(3年)
- 前野裕紀(3年)
- シャロニ(3年)
- 泉花南子(2年)
- 水谷文哉(2年)
- 雨宮咲輝(2年)
- 田澤昴広(2年)
付記・卒業生は学友会終身会費2万円と、茗荷谷たより購読料2000円の納入を切望する=宮澤