故朝飛先生を慕う三田柔友会

 

母校卒業生が他大学で神さま扱いされている。その人の名は故朝飛速夫(あさひはやお)さん(1924・大正13年5月5日、宮崎県生まれ、1969・昭和44年45歳で早世)。拓大専門部18期武徳科(体育教員免許)。小柄だが、名は体を現すの古言どおり、軽妙飛燕、左の釣込み腰、大内刈り。立っても寝ても強い人だった。戦時中は陸軍乙種幹部候補生の軍曹で、郷土宮崎防衛陣地に配属されたらしい。のちに社民党首で総理大臣まで務めた村山富市氏(89)が週刊新潮の尋ね人覧に「私を助けてくれた戦友朝飛君」を投稿したほどだ。

朝飛さんは戦後の全日本柔道選手権大会(昭和26~30年)に4回出場した名選手。小よく大を投げるお手本を示した。神奈川県警首席師範時代にインドネシア指導に派遣され、スマトラのメダン総領事館では拓大42期和田盛雄5段(静岡出身、学生通訳から現地徴兵、独立戦争に参加して残留)と再会したことが日刊スポーツ(昭和44年?)に報告されたことも。

8段の朝飛さんは礼儀正しく、教え方も紳士的だった。学生柔道の名門慶大から「ぜひ」と懇願されて師範を長く務めた。今でも朝飛師範を慕う卒業生らが年に1度偲ぶ会を催しているほどだ。

父子2代の慶大師範

それだけではない。朝飛師範のひとり息子大さん(明大中野―明大、全日本出場1回、横浜市で朝飛道場3代目当主)を同じく慶大師範に招いた。遺徳としか言いようがない。2010年7月には慶大三田キャンパスで朝飛大師範の特選塾員授与式が行われ、清家篤慶大塾長から塾員証が贈られた。この佳話は、今年2月に三田柔友会のメンバーと交流のある母校・三代川正秀教授(元商学部長・副学長)から百年史編纂室にもたらされた。(M)

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