平成24年度四国連合会総会
4月21日(土)13:00から高松市のサンクリスタル高松において四国連合会が高松市教育委員会の共催を得て、「現在の中国をどう見るか」―私の中の中国―と題して渡辺利夫総長・学長の講演会を開催したところ県内外からの卒業生及び一般聴講者併せて約170人の参加を頂き、四国連合会の香川県支部長 清水利隆氏の司会進行で始まった。
主催者代表として四国連合会長 上野文夫氏が挨拶を行ない、拓殖大学の沿革を紹介し、続いて講演に入った。
渡辺総長は講演の骨子として次の5項目を提示され、順次話を進めた。
Ⅰ.尖閣諸島中国漁船衝突事件―ミュンヘン会談
- 先般、日本領海内と考えられている区域で中国漁船が不法操業を行なった。
- これを取り締まろうとした海上保安庁の船に、中国漁船が逃走を企てるため、船首からの体当たりを繰り返した。
- 海上保安庁は中国漁船を拿捕し船長以下乗組員の身柄を拘束し、日本の法律で裁こうとした。
- これに対し中国政府はすぐさま反応し、漁船の返還と乗組員全員の釈放を申し入れてきた。
- 中国政府が対抗措置を講じてきたため、日本政府は処分保留のまま漁船と乗組員全員を釈放し帰国させた。
- これは日本の外交姿勢について、「押せば引く」のではないかとの印象を相手国並びに諸外国に与えた。案の定、その後もたびたび領海侵犯らしきものが繰り返されている。
- 「押せば引く」という外交事例としてミュンヘン会談がある。これはヒトラーのドイツに対するイギリス首相 チェンバレンの対独宥和政策であった。
- ヒトラーの領土的野心にもとづくズデーテン地方のチェコスロバキアからの割譲問題で、英仏はその要求を受け入れ、それ以上の要求は行なわない旨の約束をヒトラーから取り付けた。
- しかしこれがきっかけで、「強く押せば諸外国は引く」ものであるとの印象をヒトラーに与え、領土拡大の野心は衰えずそのまま第二次世界大戦まで突き進んでいった。
Ⅱ.「韜晦(とうかい)」戦略―生成と放棄
- 1989年、中国で天安門事件が発生し、反体制派デモに対する人権弾圧は凄まじかった。これは諸外国注視のもとで行なわれ、世界中の批難を浴び孤立化した。
- この孤立化により軍事力強化の必要性と経済的国力の強化を痛感し、軍事費予算の二ケタ維持と経済の改革・開放路線が打ち出された。その路線がこんにちの発展に結びついている。
- この路線を打ち出したのは鄧小平(とうしょうへい)で、彼はたびたびの政治的失脚にもめげずやがて最高実力者まで上り詰め、その強い指導力を発揮した。その成果がこんにちの繁栄に結びついており、その指導者としての資質は並大抵ではない。
- 天安門事件などの人権弾圧の陰の部分を時間的経過と共に巧みにくらまし、経済の繁栄を謳歌させることにより不満をそらせ国民をうまく指導している。
Ⅲ.中国とはいかなる存在か―新帝国主義
- 19世紀末に欧米列強や日本が歩んできた覇権主義を後れて実践している感じである。その意味では、新たな帝国主義である。
- 中国は大陸国家の地勢上、奥地は深いが海岸線は比較的少ない。特に良港というものがほとんどない。そのため海洋進出の思いが活発である。
Ⅳ.海洋国家同盟の意義にめざめよ―日英同盟破棄の轍を踏むな
- 1901年 日英同盟が成立し、両国の互恵関係が打ち出された。両国ともにロシアの南下政策に神経をとがらせていたが、特に日本は危機感を持っていた。
- 強国イギリスとの同盟関係を背景に日本の安全を確保し、その間次第に国力を増強し先進国の仲間入りをした。大国ロシアとの戦争においても、皮ひとつの差で勝つことが出来たのも日英同盟による背後関係のおかげであった。
- その後アメリカの干渉により、1921年 日英同盟は廃棄された。同盟によるイギリスの軍事的背景を失ってからの日本は、その後国運が衰退し満州事変・日中戦争・太平洋戦争へと、ボールが坂道を転がり落ちるように転落し、最後に敗戦の憂き目を見た。
- 現在は日米同盟を結んでいるが、それにより世界最強の米国の軍事力を背景にして、他国からの侵略の脅威を抑止している。中国の東シナ海への進出についても、その動きを牽制している。
- しかし最近の日米関係は、沖縄の基地問題に関する日本政府の迷走ぶりを契機に揺らいできている。アメリカの日本に対する信用度が落ち、信頼関係が不安定になっている。
- 米国は沖縄に配備している兵力を南太平洋の数箇所に分散配備する思わくがあるが、そうなると東シナ海が手薄になりこの海域での軍事的抑止力が低下する。
- 日米双方の不信感がつのり、日米同盟が解消されることにでもなれば、かつての日英同盟破棄の轍を踏むことになる。
Ⅴ.指導者の資質―陸奥宗光の日清戦争
- ごく最近の日本の最高指導者の中には、沖縄の基地問題において確たる根拠のない放言を行ない、日本政府に対する信用を失墜させた。指導者としての資質が問われるような事態であった。
- かつて日本の外相 陸奥宗光は、日清戦争後の対外交渉において国の威信をかけて力を尽くし、大きな実績と成果を残した。指導者としてのこのような資質を、現在の政治指導者も範としなければならない。
概ね以上のような内容で講演され、最後に質疑応答ののち講演会は終了した。
渡辺総長・学長の名講演に聴衆は咳ひとつなく聴き入り、あっと言う間の時間であった。時間の余裕があれば、もっと詳しく聴きたいところであった。
この後、会場を「リーガホテルゼスト高松」に移動し、学友会四国連合会支部長会議を行ない、引き続き 学友会香川県支部総会 並びに懇親会が行なわれた。渡辺総長・学長、学友会本部の赤澤会長及び大山副会長も臨席し、地元会員などと懇談した。
なお前記講演会の講演内容要旨のまとめにつきましては、小生の力不足で講師の真意を正確に伝えることが出来ていない箇所があるやも知れませんが、当方の浅学非才に免じてご容赦願います。
四国連合会副会長・徳島県支部長 酒井 宏治(62期)