続・今なぜ後藤新平か

   2014/04/13

東日本大震災と後藤新平

日本経済新聞(東京・首都圏経済面)6月7日から「後藤新平が描いた復興」を連載した。すべて地図入りで<車社会予見し環状道路>は今の昭和通り・靖国通り・晴海通り・日比谷通りのこと。<山下公園、がれき使い整備>は大被害の出た横浜市内のことで、今は大災害時に6万人の収容が可能とある。都内では隅田公園・錦糸公園・浜町公園が復興3大公園であり、後藤新平(母校第3代学長)の偉業として知られる。<鉄筋住宅 強さ・先進性追求>も同潤会アパートとして有名だ。今も現役として残るのは上野下アパートメント(東京メトロ稲荷町駅そば)だけだが、老朽化して惜しまれつつ消え去った中には、茗荷谷駅前の大塚女子アパート(1930年完成)がある。昭和初期の職業婦人あこがれの新型住居だった。女流作家吉屋信子が拓大生をモデルに「鳩笛を吹く女」(日活系映画化)を書いたともいわれる。戸川昌子は戦後、推理小説を書いた。

新刊「赤い男爵後藤新平」(田中重光、叢文社、2,100円)も出た。台湾でも、満洲でも街づくりで大きな実績を残したが、後藤は、そこで住み、働く人びとの人間重視の考え方で後世に大きな影響を与えた。

シンポジウム「東日本大震災と後藤新平」(7月16日12時半、千代田区内幸町・日本プレスセンタービル)一般2,000円、学生1,000円、後藤新平の会主催である。88年前の「帝都復興院総裁」後藤新平から今われわれは何を学ぶべきか!今の政治家は何をしているのか!

後藤新平の会WEBサイト