国際学部学生とフィリピン支部の交流会
3月14日(日)国立フィリピン大学で短期研修中の国際学部学生(野村進教授引率)と学友会フィリピン支部との交流会が去年に続き催された。
学部生12名と学院生1名、計13名の内の11名が女子という構成で、支部の先輩達は「拓大も変わったな」と顔を見合わせ、対応に戸惑いをみせた。しかし、学生達からは「将来は国際協力などの仕事に就きたい」といった力強い発言が続き、頼もしい印象を与えてくれた。ただ、拓大一高出身の女子学生1名以外の全員が拓大校歌を知らなくて非常に残念だった。学友会国際学部支部役員の皆さんに<校歌指導>を是非お願いしたい。そして国際学部の学生諸君には、もっともっと拓大の良き伝統と海外雄飛の精神を受け継いでいって欲しいものと感じた。支部からの出席者は、支部長 小川仁也(62期) 副支部長 三宮勝男(65期) 海野八十彦(67期) 青木廣一(70期)
幹事 峠崎洋介(70期)
フィリピン研修を振り返って
国際学部2年 尾上 琴音(おのうえ・ことね)
私にとってこの27日間のフィリピン研修は、私の今後の人生に大きな影響を与えていくと思う。フィリピンにいる間、何度も温かい気持ちになった。フィリピン人は、なぜ、あんなにも素敵な笑顔をするのだろうか? そしてなぜ、あんなにも純粋な優しさと情の深さで私たちを受け入れてくれるのだろうか? 日本人のような愛想笑いではなく、心の底からの満面の笑みで、私たち日本人を迎えてくれたのだ。決して偽りのない笑顔と見返りを求めない優しさに接し、何度も何度も心が温かくなる出来事があった。また、フィリピンを通して”幸せ”についての考え方が変わった。フィリピン人の家族愛がとても心に染みた。私たちにとって、フィリピン大学で日本語を学ぶ学生たちがつくる”TOMOKAI(ともかい=友会)”の存在はとても大きかったと思う。フィリピンに来たばかりで、戸惑っている私たちに、ともかいの学生たちは積極的に声を掛けてくれた。どこに行くにも、ともかいの学生たちは付いて来てくれた。宿題に追われている私たちを夜遅くまで助けてくれた。そこまでしてくれるのかと思うほどの優しさに、とても驚きを隠せなかった。人からの優しさに感動することは、日本ではあまり体験できない気がする。そしてフィリピンの学生にはフィリピンについて知識があり、私たちに多くのことを教えてくれた。だが、もし私たちが逆の立場になったときのことを考えると、同じように母国について教えてあげられる自信はない。母国についてもっと学ぶべきだと、初めて思った瞬間であった。
この研修で、マニラ近郊の農村と、スラムのトンドを訪れたことは、私に大きな影響を与えた。農村では、初めて会う私たちを快く迎え入れてくれた。大量のお昼ご飯を用意してくれ、農村を案内してくれた。しかし、自分たちの好きな作物を作ることができない、自分の土地を持つことができない、という農村の問題にも直面した。そんな問題がありながらも、村の人々はみんなで支え合い、シェアをして生活をしていた。村の仲間というよりは、大家族のようであった。たった半日だったがとても楽しい時間であったし、農村側からの考え方を知り、視野が広がった時間であった。あっという間に時間は過ぎ、農村の人たちが、帰り際には会って間もない私たちのために涙を流してくれた。この時、フィリピン人の情の深さを実感した。また、初対面の私たちに対してとても良くしてくれたことに感激した。
トンドでは、大量の給食を作り現地の人たちに配り、お菓子や洋服なども配った。トンドに住む現地の人たちは、私たちが予想していたよりもずっと笑顔でいっぱいだった。現地の人たちは外から来た私たちを、快く受け入れてくれた。嫌な顔をひとつも見せず、むしろ満面の笑みで私たちに接してくれた。子供たちの純粋な笑顔と元気の良さには、とても驚いた。しかし、この素敵な笑顔と元気の良さの反面、フィリピンの貧困問題の現状は予想をはるかに超えるものであった。子供たちの大半には靴がなく、裸足で生活をしており、着ている洋服もボロボロであった。そして、年齢の割には体つきが幼かった。ゴミ広い場では、大量のゴミを乗せたトラックがやってきては、ゴミを捨てていくという繰り返しが、ずっと続いていた。トラックがくると、多くの人が新しく運ばれてきたゴミに群がり、ゴミ拾いをしていた。その中には子供たちも混ざっていた。私たちもゴミ拾いに参加したが、子供たちの慣れた手さばきに、日頃から働いているのだと察し、複雑な気持ちになった。現地の人たちの笑顔からは想像も出来ないような、フィリピンの残酷な貧困問題に多くのことを考えさせられた。この現状を目の当たりにすると、私たちには支援はできても、貧困問題を解決することはできないという、無力さを痛感させられる。この現実に胸が痛くなった。ここで暮らしているある一家のお母さんに話を聞いたときのことは、とても印象に残っており、決して忘れないだろう。私たちからの「Are you happy?」という質問に対して、「Of course」という全く迷いのない答えが返ってきた。しかしここでの生活は、私たちにとっては決して幸せと答えられるような環境ではない。お母さんは、「1日何も食べることができない日もあれば、今日みたいに食べることができる日もあるし、辛いこともあるけど、家族と一緒に暮らせているから幸せです」と、答えた。その時、今でもなぜだかわからないが、いろいろな想いが湧き、涙が出た。私たち日本人はなんて贅沢なのだろうと改めて実感し、胸が苦しくなった。この出来事は、私の中での”幸せ”というものの価値観が変わった瞬間であった。
このスラムに住む人は、少なくともまる1日は何も食べることができない日を経験しているという。周りには学校に行けない子もたくさん居るし、家族と一緒に住めない人も居る。また、餓死や、予防注射をするお金が無く病気で死んでしまう子も少なくないのだ。そんな死と隣り合わせの環境で生活をしているからこそ、ご飯を食べられるだけで幸せであり、学校に行けて幸せ、家族と一緒に住めて幸せ、そして生きているだけで幸せだと、日常生活のいたる所に幸せを感じるのだ。日本人は食事に不自由することはなく、学校に行くことも義務であり、たいていの人は家族と一緒に住めるものだ。予防注射を受けることもでき、生きていることも当たり前のような環境である。そのような環境の中で暮らしているがゆえに、決して当たり前ではないことでも、当たり前に感じ、ありがたみを感じないのであろう。このフィリピンの格差問題の現状があるにも関わらず、フィリピン人は自殺をほとんどしない。それに比べて、日本では自殺者があとを絶たない。日本人はもっと、命を大切にすべきだと思う。そして、フィリピンの家族愛については羨ましく思う。辛いことがあるからこそ、家族の絆が強くなるのかも知れないが、家族を大切にすることは素晴らしいと思う。植民地の間でさえ変わらなかった家族愛だが、出稼ぎに行く人が多くなったことにより、今その家族が別れつつあるという。こんなにも強い絆のあったフィリピンの家族を離れ離れにした貧困問題がとても憎く思うし、悔しく思う。ここ何十年も変わらないフィリピンの貧困問題の現状が、少しでも良い方向に進むために、何かできることをしたいと心から思った。しかし、フィリピンの貧困問題は、フィリピンの人たちでないと解決できない。だが、フィリピンの政治家は頼りにならない。また何も変わらない日々が続くと思うと苦しくなる。フィリピン人の素敵な笑顔がこれからもずっと変わらず、絶えないで欲しいと強く思う。しかし、同じフィリピンなのかと疑うような都会もある。農村やスモーキーマウンテンでは考えられないような、アジア最大のショッピングモールや高いビルなども多くある。このようにフィリピンは光と影の部分がはっきりしているのだ。やはり日頃マスメディアを通して感じるものとはちがい、五感でかんじるものは図り知れない。実際に現地に行くことが一番だと改めて感じた。
27日間の研修はとても内容が濃く充実した毎日であった。フィリピンに行ったことにより、日本に帰国後、いろいろな場面で成長したと感じることがある。フィリピン人の笑顔と優しさは、帰国後の私にも大きな影響を与えつづけていた。笑顔が苦手な私は、フィリピンに行くまでは、あまり嬉しさを顔に出すことができなかった。しかしフィリピンでは不思議なことに、周りの影響で自分まで自然に笑うことができた。今思うといつも笑っていたような気がする。フィリピンに行く前よりも自分自身の表情が豊かになったと日々感じる。日本でも自然に笑えていることが、とても嬉しい。そしてフィリピン人の裏のない優しさを日々感じていたことで、自分自身まで人に優しくできるようになった気がする。忘れかけていた人を思いやる気持ちや、敬老の気持ちを思い出させてくれた。今まではそこまで深く考えていなかった”幸せ”についても考える良い機会を与えてくれたと思う。人生辛いこともたくさんあるが、幸せを感じることも多々ある。それをもっと素直に受け止めて、フィリピン人のように前向きに生きていきたいと感じた。辛いことがあってもみんなで支えあい、シェアをしていけるような人間関係を築きたいと思う。また、私たちが日本でフィリピン人の笑顔のためにできることを、可能な限り行いたい。本当にフィリピンに行って良かった。自分自身、ひと回り成長したと思う。今回のフィリピン研修を土台にして、もっと成長していきたい。とてもフィリピンが大好きになった。また必ず、フィリピンを訪れたい。私に大きな影響を与えてくれたフィリピンに感謝します。ありがとう。