ダカールラリー ギネス世界記録更新中 拓大自動車部OB62期菅原義正先輩!!

   2014/05/04

ダカールラリー①

ダカールラリーとは、パリ・ダカール間の自動車冒険ラリーで、1979年から行われている。アフリカ大陸の治安が悪くなり、2008年は中止、代替地として南米大陸アルゼンチン、チリが選ばれた。28年間のパリ・ダカールを記念して、南米大陸にあってもダカールラリーと呼ばれている。昨年の29回目に続き、今年30回目として2010年1月1日、アルゼンチンの新年にスタート。今年は二輪バイク157台、四輪バイク27台、乗用車138台、トラック50台、計572台が出場した。

今年も日本チームはトラック部門に、世界記録を誇る日野自動車レンジャー号(総重量7トン)2台に、世界の男拓大OB菅原義正拓兄と次男菅原照仁君の父子ドライバーで参戦。乗用車部門には、トヨタ車体2台、フランス人ドライバーとこれまた世界的に有名な三橋ドライバーが参戦。昨年は乗用車部門に元F-1レーサーの片山右京さんも参戦し、日野・菅原チームと共に弊レストラン日本橋にて壮行会を2009年1月1日に行ったが、今年の参戦はなく、2009年12月末富士山にて突風による惨事のニュースに接した。

南米大陸アルゼンチン~チリのコースは、昨年の南廻りとは逆の北廻り。亜国6区、智国6区、アンデス国境越えの2区、計14区を1日1区走る。2010年1月1日は観衆約80万人と言われるなか、首都ブエノスアイレスのシンボルのオベリスク交差点に車種毎に集まった。1月2日、317km離れたコロン市に移動し第1区スタート。1月9日は休息日、1月16日に最終区のブエノスアイレス市にゴール。そして1月17日に終了式となる。全区合計9030km。地平線まで広がる、360°見渡す限りの緑の平原(パンパ)や、世界で一番乾燥しているアタカマ砂漠など、山あり谷ありの過酷な冒険ラリーである。

菅原義正拓兄(拓大自動車部OB)は、昨年の29回大会で前人未到の26回連続出場、20回連続完走、日野自動車トラックのクラス優勝7回、部門総合準優勝6回、などなどギネスブックの世界記録保持者。菅原の前に菅原なし、菅原の後に菅原なしと言われながらも世界記録を更新中。柔道界の木村政彦先輩(7段、37期)と同様、拓大が世界に誇るOBの1人だ。

菅原照仁君(次男)は父親の後姿を見て育ち、ラリーに没入。エジプト・ファラオラリーでの優勝経験もあり、ダカールラリー6回連続出場と、菅原父子の今後の活躍に拓大関係者の皆様の更なるご声援を南米大陸在住の拓大OBの一員としてお願い申し上げる次第である。

さて、日野・菅原チーム第1陣の5名が、2009年12月17日ブエノスアイレス市に到着、その足で弊レストラン日本橋を訪ねて来られた。拓大生の義理堅さに感銘。とり急ぎ拓大学友会亜国支部員へ声をかけ、12月20日学友会亜国支部の忘年会と菅原チームの歓迎会を弊店にて行った。12月30日は、いよいよあさってのラリースタートを控えての壮行会。そして2010年1月18日は、ラリー無事終了祝賀会と新年会をかねて弊店にて再度閉店まで痛飲した。

参加者は日野・菅原チームより20名。拓大OBは菅原先輩(62期)のナビゲータ役を勤めている羽村勝美拓兄(87期、拓大自動車部OB、現在拓大自動車部監督を勤めている)、日野自動車本社より海外サービス部の主任門馬孝之拓兄(93期、学生時代は山友会に所属)。聞くところによれば、日野自動車には菅原先輩の影響もあり、拓大OBが20名近く居られるとの事。同社内に拓大OB会があるのかどうかは聞き忘れてしまったが、もし無いのであればこれを機に日野拓大OB会を作られ、相互の太いパイプを構築されてはいかがだろうか。

亜国支部からは、高木一臣先輩(47期、亜国邦字新聞らぷらた報知の名物現役編集長85才の仙人)、嘉瀬幸男先輩(52期、在亜53年、亜国南部リオネグロ州にて大規模リンゴ園を経営し1982年より始まったラオス難民救済組織の同州委員長を数年に亘り勤めた。現在はブエノスアイレス州に移られている)、加納和実先輩(60期、東京理科大学より海外雄飛を目指し拓大へ再入学、古典タンゴの楽譜、SPレコードの発掘、コレクターとして日本のタンゴ界にて超有名人、現在は高級日本料理いちそう経営者)御夫妻、高橋靖宏拓兄(65期、海外雄飛を目指し拓大へ入学、1968年9月アルゼンチンに到着。現在は約2町歩強の土地を得てバラ、ユリ、ガーベラ等々の花卉(かき)栽培を営む。現在アルゼンチン拓殖協同組合専務理事)。

小生は拓大学一の頃、銀座四丁目ヤマハ音楽ホールでのタンゴコンサートに入場料を払って同期の仲間数人と入った。すると、なんと毎日ラテンアメリカ研究会の部室で顔を合わせている1期上の加納先輩が、その舞台の上でトリオロスチカロスのメンバーとともにギターを持って出演している姿を見てびっくり。51年たった今でも昨日の如く覚えている。

壮行会、終了祝賀会のいずれに於いても、菅原義正拓兄が拓大自動車部の学生であった頃の同部部長、そして監督をされていた竹内博先輩(59期、元学友会本部常任幹事)と携帯電話で地球の表と裏(時差12時間)の長距離通話をしていた。拓大卒業後何十年経っても変わらない、先輩と後輩の絆の深さを今回も目前耳元で実感し、感動した。

今回の第30回ダカールラリーでは、箱根駅伝で使われていた拓大の幟をもって亜・智両国で応援したい旨学友会へ依頼したところ、本部の井上富美子拓姉(70期)より6本送られてきました。スタート地点が2ヶ所ある為、各所に2本ずつとして、チリ支部へ2本を転送。昨年2009年、ドイツで開催された世界陸上マラソン競技に、日本代表として拓大OB藤原新拓兄(102期)が出場した。この時、ドイツ在住の中本淑郎拓兄(68期)が拓大の幟の上に日の丸を掲げて応援、ドイツの空に拓大旗がひるがえったことに感動した。亜国支部でもその型を継承し、竹ざお2本を接続して4mの高さの拓大旗を用意。日野自動車の社旗も?され、計5本の旗を持って、2010年1月1日の真夏の午後、ブエノスアイレスのシンボルのオベリスク塔近くに陣取った。トラック部門の集結は19:00頃との事であったが、その3時間前より菅原チームからよく見えるであろう場所を確保する為、弊店従業員のご家族の協力(男子は新年祝いで2日酔)を得て、10名にて応援に参加した。(亜支部の65期高橋靖宏拓兄より過分なる支援金を頂いた。)

我々の拓大旗を見た地元TVの取材も受けた。日本人観光客の多くの人達が、日の丸付きの拓大旗をカメラに収め、なぜここに拓殖大学の旗があるのですかと質問していた。また、チリのTVにもこの拓大旗が映し出されたと、智支部からの報告があった。

1月12日には、拓大チリ支部のあるサンチャゴが第10区の終点となっているため、智支部より岸野先輩、高橋太三拓兄、永森克己拓兄が拓大旗を持って応援した。以下高橋君(62期)からのメール。

昨日、岸野先輩、永森君と私の3人で拓大の応援旗、チリ支部旗をもって、約5時間直射日光の炎天下で、同期の菅原君と次男が現れるのを今か今かと待っていました。その間同窓の後輩である日野自動車の海外サービス部主任をしている門馬君が、懐かしい拓大旗を見て、私共3人が居る所にやって来て、飲み水を持ってきてくれたり、いろいろと気を遣ってくれました。菅原親子のレース状況などの話や、パリ・ダカールよりチリ・アルゼンチンの方が昼と夜の気温差、砂の木目細かさ、砂漠の急勾配などなど、遥かに環境が厳しく、ドライバーにとって、ましてや整備員にとっては過酷な環境だなどおもしろい話が聞けました。そうこうしているうちにTV朝日、日本TVの記者やカメラマンが来て、写真を撮ったり、菅原会長、ダカールラリー、日本の近況等を話しました。2月の番組で報道されるそうで、永森君にとってもめったにない偶然であったと思います。

菅原拓兄が日野レンジャー号を運転して会場に入る瞬間、我々が手にしていた母校の応援旗を見て何回も手を振って喜んでいた様子がハッキリ見え感激しました。この機会に是非とも久々の再開を実現したく相当時間待っていたのですが、待てど暮らせどなかなか現れないので、19:30までいたのですがサンティアゴ市に帰ることにしました。永森君は翌朝早いバスでメンドーサ市に向けて出発しましたが、お陰様で良い経験をさせていただきましたと喜んでブエノスアイレスへ戻り、その後日本へ帰国されるようです。

菅原君に会ったら、来年こそは再会を実現したいとお伝え下さい。永森が写真を撮っておりますので、そのなかから良いスナップを茗荷谷たよりに掲載願います。

押忍 62期 高橋太三 2010年1月13日

※文中岸野先輩とは、岸野友治(59期、拓大ラテ研OB)。東京理科大学から海外雄飛を志し拓大へ。長年三井物産社員として南米チリで活躍。ノンフィクション作家深田裕介著「革命商人」の主人公。この本は、数年前まで三井物産及び関連会社の新入社員の必読教科書となっていた。この小説に出てくる、チリ陸軍に売り込んだトヨタのランドクルーザー600台の他、市街戦にも適応できる運搬能力のあるトラック(日野自動車)数十台の売込みを果たしたのも、拓大OB岸野先輩である。この件からも日野自動車と拓大生の絆を感じる。先輩はチリ日本人会会長も勤められ、通産大臣賞、外務大臣賞も受賞され、旭日双光章をも受章されている。そして現在はチリ国首都サンチャゴ市の一等地にて日本食レストランNo.1の「将軍」のオーナーをしている。1935年北海道稚内生まれ、75才にして今も現役。

高橋とは、高橋太三(62期、拓大ラテ研OB)。都立新宿高校から拓大へ入学。第二外語で接したスペイン語に魅せられ、メキシコ大学へ留学(その1年前、移住研に所属されていた奥山幸猛先輩(61期)がメキシコ大学へ留学されたことに刺激され、後を追った)。苦労の末、メキシコ大学経済学部を6年かけて卒業し、拓大スペイン語教授の瓜谷良平先生とともに現在の日墨親善交換制度を立案し、現在の拓大―メキシコ大学の留学制度の生みの親の1人となったその後も三井物産本社の経理、財務畑のエキスパートとして、また拓大スペイン語(第2外語)の延長線として南米ペルー、チリに駐在。行動力のある高橋拓兄は長身のチリ美女と国際結婚し、1男2女の父として現在はチリ・サンチャゴ市にてシチズン関係の南米総代理店オーナー。2010年学友会本部から承認された拓大ラテン・アメリカ西語圏連合会を立ち上げている。

永森とは、永森克己(67期、拓大ラテ研OB)拓兄。拓大卒業後、大平旅行代理店東芝ツーリストに入社。母校拓大ラテンアメリカ研究会で特訓した第2外語のスペイン語の魅力が忘れられず、60歳の定年を機におりしもJICAで公募していた中米ホンジュラスへのシニアボランティアの採用試験に挑戦、狭き門に見事に合格した。2年間の任期を終え日本へ帰国。昨年10月拓大学友会百周年記念式典に、翌日はラテンアメリカ研究会OB会60周年記念大会に出席し、30数年ぶりに小生と再会。日ごろ言っている「出て来い出て来い拓大生」の言葉に後押しされたとの事である。また、アルゼンチン旅行を昨年11月24日からスタート。長距離バスを利用して亜国内のすべての世界遺産(9ヶ所)をめぐり、隣国チリ、ボリビア、ウルグアイへも足を伸ばし、好きなスペイン語と南米の日々を楽しんでおられる。永森君のブログはhttp://d.hatena.ne.jp/honduras/。アクセスして見て下さい。

話は長くなったが、南米開催2回目のダカールラリーの結果は、日野・菅原チーム(516号車)は第9区にて排気系トラブルで失格となってしまったが、次男の照仁君はトラック部門7位、市販車部門1位という輝かしい成績であった。乗用車部門のトヨタ車体の2台は、フランス人ドライバーはリタイア、三橋選手は昨年に続き優勝。

2011年のダカールラリーは、ヨーロッパ勢はパリ・ダカールを望んでいる中、2010年の南米大陸の組織が素晴らしく、好評であったため、来年も南米大陸での開催の可能性が大きいとの事。南米大陸の青空のもと、拓大生の奮闘する姿を再度見たい。世界に一番近い拓殖大学である。

ダカールラリーの模様は、ナビゲータも勤めている87期の拓大自動車部監督羽村拓兄よりのレポート。

記 中務信彦(61期、ラテ研OB)

※中南米大陸で活躍している拓大生OBは、私も第2外語で接したスペイン語学科の卒業生です。そして近年に於いても、元売拓兄(63期、ラテ研OB)が国家認定のスペイン語通訳官テストに合格しております。外国語学部スペイン語学科諸兄姉の更なる活躍を祈念。

ドミンゴ ナカツカサ 押忍!!

ダカールラリー②ダカールラリー③