母校、拓大の恩返しに~ベルリンマラソン観戦記~

   2014/05/05

ベルリンマラソン観戦記①

学生相撲部時代、S44年学三、S45年学四、全日本学生選手権(大阪)、S44年学三、S45年学四、東日本学生選手権大会(蔵前国技館)へと拓大応援団が各大会に応援に来てくれた。これが選手達の「力」となったものだ。

今回、宮澤先輩の提案に対し、母校拓大の恩にこたえようと「応援に行かせていただきます」 と即返事をいたしました。8月21日(金)フランクフルトより550km離れたベルリンへと「拓殖大学旗」を持ち「振えよ振え、嗚呼拓大ョ!吐けよ いざ天馬の意気を」と車中で歌いながら出発した。

大会試合当日、「拓殖大学旗竿」を手にブランデンブルク門の前に10時から立ち、藤原選手を待った。試合は残念ながら意外な展開になってしまった。スタートの1、2周目頃までは、藤原君はトップ集団についていたが、その後突然急激スピードダウン。結果は新聞等の情報通り。

私が男子日本陸上連盟の監督さんに「急激スピードダウンの理由」について伺ったところ、監督さん曰く、「ペースの配分の仕方がうまくいかなかった。これが、今後の課題です」。と言われておりました。

藤原選手の「ペース配分の失敗」とは少し異なるが、「私の学生時代の失敗談」が思い出される。学四の時の学生選抜七尾大会の前夜、朝方まで寝付かれなかったことがあった。体調不十分で全く力が入らず敗退。以後、社会に出てからも人生、どんな状況におかれていても熟睡をモットーとしている。

大会後、日本陸上連盟の宿舎であったベルリン市内のホテル前で、藤原選手と会った。彼曰く、「次は必ず頑張ります」と力強く決意を語ってくれた。この固い決意で3年後のロンドンオリンピックを目指し是非頑張ってもらいたいものです。母校拓大の為に、そして日本代表として世界を目指してもらいたい。

私自身、最近つとに思うことは、人生も長いマラソンと同じだ。勝利のゴールは健康だと。

最後に拓大ダンチョネ節に「押忍の精神、おやじも惚れたよ」とあるが、拓大生諸君、共々に何時までも健康第一でおやじにも惚れられる人生を送ろう。押忍!

ドイツ滞在37星霜 中本淑郎 拝

ベルリンマラソン観戦記②ベルリンマラソン観戦記③