海外で活躍する卒業生 第4話 ドイツ/68期 中本 淑郎

   2014/05/05

海外で活躍する卒業生 第4話①

中本 淑郎(なかもと よしろう)

商学部 貿易学科 68期 相撲部 ドイツ滞在37年


「眼を開いて世界を見よ」 創立者 桂太郎公 <ドイツ留学>
「人種の色と地の境、我が立つ前に差別なし」と25歳の春、既に西独に渡っていた知人を通じ1972年2月13日、羽田空港より相撲部後輩らに「興亜の雄図」乱舞また乱舞のカチマス踊りと押忍三唱で見送られ、一人西独に発った。後輩の舛田君(現、大相撲・千賀の浦親方)も駆けつけてくれた。あれから37年目の春を迎えようとしている。
職業:フランクフルトにて不動産斡旋管理業

相撲部学生時代

私は文京区小日向茗荷谷、拓大運動部体育寮で4年間、稽古、稽古に明け暮れた。寮には100名を越す部員(柔、空、剣、レス、相撲部)。朝夕に「押忍」「オース」の声が寮内に鳴り響いていたものだ。また、チャンコを囲む度に諸先輩より拓大の歴史、伝統ある相撲部の栄光の話、国外で活躍されている先輩方々の武勇伝、美談等を伺い乍ら、「狭い日本には住みあいた」、「俺の住処にゃまだ狭い」ではないけど、いずれは俺も行ってみたいと思っていたものだ。

拓大進学の道程

出身は北海道夕張地方、黒いダイヤ(石炭産業)の斜陽化、度重なる落盤事故死の連続、15才時、相撲取り目指して上京するが、お相撲さんには体が小さく「床山」にて佐渡ヶ嶽部屋に入門。浅い願望程度の気持ちで入門したこともあり、一年後、この界を去る。当時、大相撲は柏鵬時代の絶頂期であり、巡業で日本全国を廻った。また、この眼でプロの猛稽古をしっかり見た。

私の高校時代

普通科、演劇部に所属、休みは米屋でアルバイト。高2時、学生横綱決勝をTVで見た。また、拓大の富樫志朗君(横綱柏戸実弟)の東日本学生相撲新人戦個人戦優勝の新聞記事も眼にした。その頃から、伝統ある強豪拓大相撲部を知る。それ以来、将来自身の持てる自分になりたい、心奥から相撲をとってみたいと熱血が騒いだ。

しかし、進学するにはお金が無かった。私が高3の12月末、父が癌で倒れ他界。父が亡くなる前、「僅かな生命保険金だが大学進学に」と言い残してくれた。

大学より初めてマワシを締める

春、拓大相撲部稽古中、門を開け、当時の高見監督に入部を願う。しかし、経験ゼロ、「マネージャーなら」との返事。しかし、その時は、もう「願望」ではなく「真剣」の二字だった。翌日よりマワシをつける。誰もが皆、中本はいつかトンズラ(逃げる)するかと思っていたらしい。自分勝手に3年よりレギュラーにと決意し、日々死闘の連続、天空を仰ぎ父を思い、休み期間皆の帰郷中も一人、寮に残り猛特訓に励む。その甲斐あり、3年春より4年終わりまで全大会正レギュラーとして出場。スポーツ経験ゼロの私には伝統ある強豪拓大相撲部の猛稽古は想像を絶した。よく耐えたものだと又、不可能を可能にしたのだと自ら思う。相撲のイロハを学生界の名先鋒だった同期の長松君より習った。

戦績

団体優勝 3度

  • 第8回全国大学選抜相撲宇佐大会(S.43 5月)
  • 全国大学選抜相撲高知大会(S.45 1月)
  • 第18回全国選抜大学・実業団相撲刈谷大会(S.44)

準優勝 4回

  • 47回全国学生相撲選手権大会
  • 47回東日本学生相撲選手権大会
  • 48回東日本学生相撲選手権大会
  • 第4回東日本選抜社会人、学生相撲川崎大会

3位 1回

  • 46回全国学生相撲選手権大会

個人

  • 東日本学生相撲選手権大会 敢闘賞

同期に日大出の元横綱輪島がいる。当時、我々の時代には体重別クラスはなかった。母校、拓大に貢献できた。

私とドイツ・ヨーロッパ相撲との関わり合い

1995年、48歳時、ドイツ相撲選手権大会個人無差別級に出場、準優勝。一度も私の相撲を見なかった母と妻そして3人の子を連れての出場だった。それ以来、相撲と関わっている。因みにドイツは2000年の世界大会・団体戦の決勝で本家日本を倒している。その後、ヨーロッパ審判長、スポーツ理事を歴任。日本相撲連盟より功労賞受賞、日本相撲連盟七段。現在、国際連盟・監事の任を受け60歳よりドイツ語は休場し、連盟の為に英語に取り組みレギュラー目指して挑戦している。

大相撲・大関琴欧洲、ブルガリア出身、を発掘

若き18歳のカロヤン君をヨーロッパ審判長時代、土俵下で審判しながら現在の彼の姿を想像し、元、私が在籍した佐渡ヶ嶽部屋に琴欧州(現在は洲)と名づけ日本に連れて行き入門させた。

押忍の精神とは

一口で言うことの厳しい人生・社会で最後には「勝つ」ということ又、お世話になった諸先輩への「感謝」。特に松村豊学友会会長・日本相撲連盟会長の大先輩には入学時よりお世話になりました一人です。昨年2月、同日に母92歳と私の姉(病気)を亡くしました。この悲しみをドイツで同苦する友々にも「自分が勝って幸せにならないと亡き人は浮かばれないぞ」と自分にも言い聞かせて勇気付けている。又、西独出発前2年後には迎えに来るよと約束し、大学卒業と同時に連れてきた私の妻の今までの苦労に「感謝」。

最後に

伝統ある拓大相撲部・後輩諸君よ舛田監督を軸に優勝目指して練磨して下さい。37年間ドイツの星霜をつづるには、枚挙にいとまがない。拓大生諸君、共に頑張ろう。

押忍

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