続・続 今なぜ後藤新平か
6月18日付毎日の14面は特集<大正100年歴史に探る日本の針路>だった。そうか、「降る雪や明治は遠くになりにけり」(中村草田男)という句は有名だが、大正も早や100年になる。この特集第6回は「ラジオ放送開始」がテーマで、1923(大正12)年9月1日の関東大震災をきっかけに重点国策とされた。24年11月、社団法人・東京放送局(JOAK)が発足する。その初代総裁は後藤新平拓大第3代学長だった。もちろん後藤は帝都復興院総裁で、ラジオ放送建議書の提出を受けるや直ちに実現化を図る。昨今の松本復興大臣(舌禍辞任)とは大違いだ。そして後藤が次の東京市長を任命したのが永田秀次郎(第4代拓大学長)である。
月刊誌「WiLL」8月号(6月26日発売分)では巻末の<編集部から>に感動した。若き女性エディターのコメントである。
関東大震災の半年後、当時の永田秀次郎・東京市長は「市民諸君に告ぐ」と題した演説でこう述べた。《我々東京市民は今や全世界の檜舞台に立って復興の劇を演じておるのである。我々の一挙一動は実にわが日本国民の名誉を代表するものである》この気概たるや!時間を越えて私もにわかに奮い立つ思いがします。しかし時間を越えて探さないと、気概ある政治家の言葉を受け取ることができないなんてねぇ……。(梶原)
読売6月28日付1面「編集手帳」も良かった。
名誉欲、色欲、金銭欲…煩悩にもいろいろある。逸材を常に欲して、”人材煩悩”と評されたのは、東京市長を務めて関東大震災の復興に尽くした後藤新平である。「午後3時の人間は使わない。お昼前の人間を使うのだ」と、語録にある◆感覚的な表現ながら、意味するところは察しがつく。退勤時刻を気にして尻の落ち着かない人に大事な仕事を任せるのは不安なことだろう。退陣をすでに表明している菅首相の場合には、日没も遠くない夕暮れである◆復興相を新設して震災復興の態勢を整えたが、たそがれの人に率いられて、どれだけ機能するだろう(以下略)
萩にきて ふと思へらく今の世を救はんと立つ松蔭は誰(吉井勇)