15世紀の人物 スペイン帝国の起源

 

表紙

Personajes del Siglo xv.Origenes del Imperio español.

鈴木 裕 2015年7月出版

表紙写真はイサベル女王の生地マドリガル市。裏表紙はスペイン王家、ポルトガル王家、ドイツ皇帝、イングランド王家の血縁関係を示す家系図。内訳は1400年から1500年に活躍した諸王、貴族、聖職者、将軍、知識人等60名の伝記の要約。各人物に係る写真2部と家系図で人物の解明。

15世紀末800年に渡る国土回復戦争でアラブ支配下のグラナダ王国は滅び、カトリック王国スペインがカトリック両王イサベル女王とフェルナンド王によって1492年成立。同年スペイン王国は日本と中国への海上ルートを見つける目的でコロンブスを派遣するが、結果としてアメリカ大陸が発見される。当時スペイン王はイタリア半島の南半分を占めるナポリ王国やシシリア王国その他地中海の島々を配下に収めていたが、カトリック両王の孫がスペイン王とドイツ皇帝を兼ねる時代が到来し欧州大部分とアメリカ大陸を支配下に収め、さらにアジアにも進出をはじめる。現在の太平洋はスペインの湖として発見され、これを太平洋とスペインが命名現在に至っている。太平洋にある殆どすべての諸島はスペインによって発見され植民地化されたが、現在は殆ど忘れられてしまっている。マリアナ諸島やフィリピンには多少当時の歴史が残っている。

本書はこの16世紀スペインが世界帝国として成り立った起源を15世紀に遡り探索し、当時の出来事を詳細に記載している。日本もスペインの影響を強く受けたが、一般にはこの事実は殆ど知られていない。1641年徳川幕府は鎖国を決意し、1868年まで日本は国際社会から孤立することは誰でも日本史で学んできているが、この鎖国令を出した原因については明らかにされていない。この鎖国がスペインによって植民地化されるのを恐れた徳川将軍の決断であったことは想像できるが、これの背景にはスペインが当時アメリカ大陸、太平洋全域の島々さらにはヨーロッパ大半を支配していた事実をオランダ人が将軍に耳添えし、スペインとの関係を切る以外に日本は植民地化されることは避けられないとの結論に至った。実際にはオランダがスペインを日本から追い出すための政略であったが、結果として幕府は鎖国を決断、オランダだけに平戸港経由での通商を許可しその他一切の国際交流を禁止してしまったことは日本史に記載されている事実である。日本では当時スペインをイスパニアと呼んでおり正しい呼び方であったが、現在は英語でスペインとなってしまいイスパニアという国は存在しないような錯覚を起こしている。当時オランダはスペインによって支配され断圧を受け反乱を起こしていたが、スペインのイタリア駐屯ヨーロッパ最強陸軍によって占拠されていたためスペインに対する憎悪感は著しく、如何にしてもスペインに対して反発を企てていた時代であった。

15世紀のスペイン

我々日本人はスペインの16世紀についての多少の知識はあるがそれ以前についてはほとんど知られていない。16世紀はチャールス大帝がスペイン王としてヨーロッパに君臨し、さらに子孫のフィッリップ2世が当時世界的規模のスペイン帝国を築き挙げ、人類史上最大超国家スペインが誕生する。我々日本人でさえこのスペインの影響を少なからずとも受けた。当時のヨーロッパはフランスを除く主要国はすべてスペインの配下にあったと言える。遠くは大西洋、アメリカ大陸、太平洋以外ではアフリカ、アジアの一部もスペインの傘下に入っていた。このスペイン帝国が成り立った由来は一世紀前の15世紀のスペインを模索すればよいのではと考え、当時のスペインを統治した王族、貴族、僧職者たちを通しスペインが国家として成立するまでの歴史環境を詳しく調べてみた。

実際には15世紀はスペインという国は存在せず、イベリア半島はカステリア王国、アラゴン王国、ナバーラ王国、ポルトガル王国で形成され南部にイスラム支配のグラナダ王国がアラブの最後の砦として残っていた。多数の歴史家はこのグラナダ王国の存在について誤った見解を持っている。700年以上スペインの領土を占領していた侵略者であるイスラムがスペインの本来の先住民であるとし、グラナダ王国を滅ぼして領土回復戦争に勝利を収めたスペインはアラブに対する略奪行為であるとする意見も多い。実際には8世紀初め711年(スペインが西ゴード王国の時代)に北アフリカからイスラム軍が侵入し、その後スペイン全土を制覇しイスラム国家を設立したことは明らかであるが、その後8世紀近く国土回復戦争で先住民のキリスト教徒がイスラム教徒を追放するための戦いが継続していた歴史的事実を考慮しなければならない。さらに西ゴード王国以前のスペインはどうだったかについて調べることは興味深い。起源前2世紀ごろよりイベリア半島はローマ帝国のイスパニア州として栄えていた。西ゴード族がローマ帝国の支配を覆す5世紀までスペインはローマ帝国の一部を形成し、スペイン出身のローマ皇帝を3人も送り出した程ローマ帝国内で重要な役割を果たしてした。結果として言語、建築、法律、政治、文化、生活習慣、宗教等すべてローマの影響を受け、本来のローマよりローマ的な国家になり現在に至っている。したがってイベリア半島の先住民はローマ人でありゲルマン人であり、アラブ人は単なる侵略者であったに過ぎないことが理解できる。確かに700年以上も住み着いていたためイスラム文化や生活習慣、さらには言語等がスペインに影響を与えたことも明らかである。長い世界史の中でイスラムが侵入した領土は例外なくイスラム教国家になっており、イスラム勢力を追放できた例は皆無である。スペインの国土回復戦争だけが例外であるが、711年から1492年すなわち781年間という極めて長期間に渡る偉業であった。その間数多くのキリスト教王国の王達が少なからずイスラム教軍と戦線を交わしてきたわけで、最終段階でカトリック両王が歴史的偉業を1492年に達成した事は多くの人もご承知のとおりだ。(著者)

著者自己紹介

71期(1973年政経学部経済学科国際経済卒業)ですが、第二外国語スペイン語を履修。当時スペイン語学会の権威故瓜谷良平先生や拓大出身の故浦和幹夫先生のお蔭でスペイン語の基礎を習得し、スペイン外務省の給費留学生としてマドリッドに留学しました。その後日本商社トーメンのマドリッド事務所に就職し、6年後にカシオデジタルのスペイン販売会社を始め、1994年にコナミのゲーム会社をスタートし二年後にコナミヨーロッパのスペイン支店長に就任、2015年までゲームビジネスに従事しておりました。

スペインの歴史についてはそれほど興味はありませんでしたが、家内の実家が偶然有名なイサベル女王の生地であったこともあり、少しずつ日本では知られていない歴史の事実を勉強してきました。小生の実家は横須賀ですが、浦賀港にスペイン船が出入りし徳川家康がイギリス人ウイリアムアダムスを外交顧問に起用してスペイン外交を行っていたことなど一切知りませんでした。2015年に定年退職し本書を出版しました。本来スペインが世界を制覇した16世紀についての本を出す予定でしたが、16世紀の主人公の先祖について調べているうちに未知の15世紀にさかのぼってしまいました。日本ではスペインについてあまり紹介されていません。日本で出版されているスペイン歴史書はアメリカや英国の歴史家の書物が日本語に訳されたものが多く、かなり歪曲されたスペインの歴史となっているようです。

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