文藝春秋9月号
(文藝春秋、970円)
終戦70年秘話の中では「GHQに抹消された南方開拓学校の志」が身につまされる。昭和16年5月、今の東京都小平市に拓務省(のち大東亜省)創設による「拓南塾」が開設された。場所は花小金井の旧拓大予科(のち戦後は拓大一高=現在は武蔵村山市に移転)とそれほど変わらない。その入塾式に元鉄道大臣永田秀次郎が出席している。当時、拓大第4代学長である。拓南塾はマレー語(当時マライ語とも。現インドネシア語に相当)必修。永田学長は東京市長の経験もあったので、同年12月8日に大東亜戦争が始まり、シンガポールを占領すると、南方総軍最高顧問としてシンガポール(当時、東京都昭南島)に派遣され、マラリヤに侵され、帰国後昭和18年9月、雑司ヶ谷の自宅で「戦病死」(靖国祭神)となる。永田学長は昭和15年開催が決まったアジアで初の「東京オリンピック」を最初に提唱した先覚者だが、3年後の「東京オリンピック」を控えて、生地兵庫県南あわじ市では<永田秀次郎顕彰会>を設立し、神戸新聞・拓殖大学協賛のもと、NHK大河ドラマなどに強く働きかける。9月に南あわじ市、10~11月に東京でも呼びかける。(M)