昭和十八年の冬 最後の箱根駅伝 戦時下でつながれたタスキ

 

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早坂隆(中央公論新社、1800円+税)

ほとんど続けざまに出版された同名テーマの2冊目。なぜ今?それは10月15日が箱根駅伝予選会(立川市)ということもあろうか! この早坂氏も実によく調べて書いている。感服のほかない。日本初の駅伝大会は1917(大正6)年4月、京都三条大橋から東京上野公園まで。その両方に記念碑が建っている。関東側は東京高師(筑波大)一高(東大)早大と東洋協会植民専門学校(同年拓大と改称)の4校だけだった。

1943(昭和18)年の戦時下3年ぶり復活大会の章で、96ページには「湘南中学卒の箱根第一号ランナー」の小見出しがある。拓大の2区山本雅男(現神奈川県立湘南高卒)のことが詳しく語られている。戦後復活のことまでもっと語られてよい―と私(宮澤)は思う。山本は戦後拓大復活駅伝に身ゼニを切って貢献した。東京と横浜で麻袋(マタイ)業の会社を興していた。ここで著者は拓大陸上部の創部を「昭和三」(1928)と書いているが、誤り。初めに記したように「大正六」の京都―上野公園の駅伝4校の中に参加しているのだから、創部は明治時代と考えてよい。

おもしろい記事を見つけた。東農大の「大根踊り」(1923)の歌詞に(押忍押忍押忍)とある。当時拓大は押忍もオスも使っていない。また早坂氏は陸海軍における駅伝ランナーのことまで詳しいが、慶大の小森宮少尉(飛行予備学生13期)が2式飛行艇でメレヨン島に不時着するくだり。水上機に「緊急着陸」はない。着水の誤り。しかし取材は行き届いている。

150ページには拓大の5区・小梨豊(気仙沼市)の項で「当時、拓大には東北地方出身の若者が多く集まっていた」とある。そして、これは後藤新平と新渡戸稲造という二人の巨人の影響があり、東北の優秀な若者は拓大への進学を望んだ―と。

西日本では「三上晃の生涯」でアンカー三上晃さん(戦後高校教員、理学博士)について3ページにわたり、遺族の回想もある。母校陸上競技部の指導者・学生もOBも必読しないわけにいかない。

(大学百年史編纂室・宮澤正幸=陸上競技部支援会相談役)