瀬尾努陸軍少尉の墓参

 

瀬尾努陸軍少尉の墓参①瀬尾努陸軍少尉の墓参②

日時
2016(平成28)年5月4日(水)10時30分~
会場
埼玉県越谷市 宮内庁鴨場隣接墓地
人数
4人

昭和20(1945)年5月4日、大日本帝国陸軍知覧飛行場より、神風特別攻撃隊大任拝受の第78振武隊が沖縄方面へ向け飛び立ちましたが、その中の陸軍97式戦闘機に搭乗し散華されたのが、拓殖大学専門部第17期武徳科剣道専攻昭和18年9月卒業の瀬尾努学友でした。

この歴史的事実を、拓殖大学創立百年史編纂室の宮沢正幸専門員(学51期)が丁寧にお調べになり、故瀬尾学友が埼玉県越谷市の出身であることが判明致しました。

早速、宮沢専門員から、福田勝幸拓殖大学理事長(越谷市在住)へのご報告があり、福田理事長は直ちに越谷市旧家ご出身の瀧田大樹郎学友(学59期・拓殖大学学友会埼玉県東部支部初代支部長)にご相談をされ、今回の御命日墓参に漕ぎ着けることが出来ました。

瀬尾家では、九段の靖国神社へは度々の参拝を続けておられ、九州の知覧特攻基地跡地(知覧特攻平和会館)にもご供養に出向かれているそうです。さらに、瀬尾家と瀧田学友とは仕事上の繋がりもあり、紅葉ヶ丘のご縁の深さを改めて痛感されたようです。

また、故瀬尾学友が平支部長の高校(埼玉県立杉戸農業高等学校・当時の校名は杉戸農業学校)の先輩でもあったことから、この日に備えて平支部長は脊柱管狭窄症の痛みを通院で対処しての墓参となりました。

前夜より降り出した雨は、明け方から強風を伴う大雨となり、朝方は墓参が心配されましたが、不思議にも、押田副支部長運転の自家用車出発時刻の午前9時には回復に向かい、墓地到着後の墓参時には晴天となって、『故瀬尾努学友御命日墓参』を拓殖大学学友会埼玉県東部支部役員代表にて無事に終えた次第です。

遙か南の空に向かいご冥福をお祈り申し上げます。

(学77期 工 一仁)