平野時男師範20年追悼式
7月17~23日、元愛知県警察柔道師範の髙濱久和8段(71期生―熊本・鎮西高、愛知県国際柔道自然塾=名古屋市在住)がフランスはブルゴーニュを訪れた。同地で拓大時代の恩師・平野時男師範(42期)の没後20年追悼式が催され、弟子の代表として出席するためだ。
平野師範は拓大時代に先輩の木村政彦7段(37期生―旧制鎮西中)と並び称される柔道界の鬼才だった。兵庫県淡路島(第4代永田秀次郎学長・貴族院議員・拓務大臣の出身地)の生まれ。京都市の旧制平安中学時代に大日本武徳会(財団法人)武道専門学校(武専)の福島清三郎教授の塾生となり、全国制覇で名をあげた。
当時牛島辰熊師範の率いる拓大予科が全国高専大会(旧制高校・大学予科=東大など七帝大主催)を制し、天下無敵の勢いがあった。まこと「集まる猛士 雲のごと」(紅陵健児の歌)の良き時代で、平野氏も上京するや深川の牛島塾に住み込んで立ち技は天覧試合優勝の大谷晃、寝技は同・牛島師範の指導を受け、全国学生大会決勝で松本安市氏(武専―後拓大助手―戦後天理大教授)に一本勝ちしている。19歳の時には講道館紅白試合で同じ4段15人をすべて一本で破り、抜群の即日5段に昇段も。
戦後は皇宮警察師範となり、白井部長の娘さんと結婚したが、志を果たすためヨーロッパへ飛び、オランダ・フランスを中心に長期指導し、帰国後は拓大でも柔道部を教えた。髙濱氏はまな弟子の1人。
ブルゴーニュには娘の次女平野キヨさん(自宅はパリ)が暮らしている。1978(昭和53)商学部でフランス語の非常勤講師も務めた平野紀代氏だ。日本よりもヨーロッパで衰えぬ名声を持つ平野氏のこと。追悼式には70~80歳の黒帯たちが50人も集まり、髙濱8段を感激させた。(M)