白鵬客員教授、文京で講演

 

白鵬客員教授、文京で講演①白鵬客員教授、文京で講演②

ショック発言「あと2~3年で引退」

6月5日、文京キャンパス「産業と人間」講座に突然69代横綱白鵬翔関が現れ、出席者(学外聴講の年配男女10人前後を含め、母校男女学生ら約300)を驚かせた。なにしろ、当日の講師名(未定)のままだったから。それでもメディアはTBSの番組制作班(横綱専属)と、スポーツ2~3紙だけ。大学は公表していなかった。講義テーマは「相撲と我が人生」で、昨年10月の八王子キャンパス初講義とほぼ同じ内容。この日は事前に福田勝幸大学理事長から2度目の客員教授委嘱状を手交された。

5月場所で優勝を飾ったばかり。すぐ北海道・滝川市へ飛び、自身の白鵬米(隣接深川市の拓大北海道短大が開発協力)の田植えを済ませた。「モンゴルの大草原で稲作が可能かどうか、実験中。おいしい米を母国の人に食べさせたいので」とも自らの夢を語った。学生たちの質問にもよどみなく答えた。「大関までは楽しかった。かみついてでも勝ちたいものだ。現在は横綱としての勝ちかたがある。昭和の名横綱双葉山関の「後の先」は、安岡正篤先生(「平成」の言葉を作った人、元拓大教授)の教えを守った。相手より遅れて立ち、そして勝つという。「木鶏」の心境、哲学があった。「諸君も“木鶏”のことを学んでほしい」とも。

聞かれないのに自分を支えてくれた妻、紗代子さんへの感謝の言葉も。すでに3人の子だくさんだが、5か月だった4人目が5月場所13日目流産となった。このことは教室では明かさないが、自身のブログで当日公表した。優勝力士の一夜明け会見を拒否したのは、紗代子さんの気持ちを考えたため。そして「いま29歳。これ以上は強くならない。どう維持していくか?あと頑張って2~3年」と引退の時期を潔く発言した。初めてのことだ。

会議室では桂太郎初代校長の掲額肖像画に目をやり、「あの人だれですか?」と自ら近寄って記念写真。1904~05(明治37~38)日露戦争に勝った時の内閣総理大臣でもあるとの説明に「こわい顔ですね」(本当は優しい人)と追加説明したが、「それでもやはりこわい」威厳に押された?(M)