伊勢湾台風災害の救援活動をした拓大生

 

今から55年前の昭和34年9月26日、紀伊半島の和歌山県、奈良県、伊勢湾沿岸の三重県、愛知県、岐阜県を中心に犠牲者5,098人(死者4,697人、行方不明401人)、負傷者38,921人、全壊家屋36,135棟、半壊家屋113,052棟、流失家屋4,703棟、床上浸水157,858棟、被害者数は九州を除いた全国で約153万人に及んだ、明治維新以来最大の被害をもたらした超大型の台風が「伊勢湾台風」だった。

この台風について、当時九段の東京学生会館(現日本武道館)の寮生だった(後寮長)59期・大竹長行氏(三重県桑名市在住)よりその思い出を綴った書面が寄せられたので概略紹介します。

伊勢湾台風の直後、肩までつかる水の中を筏を押して避難する人たち=1959年9月29日、名古屋市南区で

伊勢湾台風の直後、肩までつかる水の中を筏を押して避難する人たち=1959年9月29日、名古屋市南区で

58~61期生の面々

58~61期生の面々

この台風の救援活動に直ちに動いたのは東京学生会館の拓大生だった。

その後、現地・名古屋へ向かい、10月11日から17日まで名古屋学生会館(名古屋城内、旧陸軍名古屋師団兵舎)を宿舎として、現地災害救援対策本部からの送迎トラックで市内南区柴田地区に入り、倒壊した家屋などの復旧作業に従事し、名古屋市民から大変感謝された。

この懸命な救援活動と奉仕の精神をマスコミにも大きく取り上げられた。後日小林名古屋市長(当時)から感謝状が贈られた。

現在の名古屋市役所に確認すると、記録が残っており、感謝状の宛先は「全国私学学生自治会連盟」(略称私学連)、拓大が幹事校で学生会が事務局だった。感謝状は学生会が保管していたが、現在は残念ながら所在不明となっている。

中部日本新聞(夕刊)昭和34年10月18日

中部日本新聞(夕刊)昭和34年10月18日