在台湾学友訪問記

   2014/03/28

集合写真

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台湾は美しい国だ。人々の表情にくもりがない。

かつて日本に統治されたことによって国家としての基礎を築くことができたとのことで、日本人にはことさら親しみを持つようだ。日本には観光客が年に130万人ほど訪れるそうだ。

台湾日通国際物流の董事長兼総経理の79期の杉山龍雄氏、そして部下に88期の森威尋氏が在台していてくれ、季節もよく、64期萩原道夫、在上海で元日通上海支店長65期宇佐美凱義、66期菊田英世、67期中山正浩、68期池谷正男が訪台した。現地では他に上海外経貿服務の赤池真由美さん、台湾(民)政府の潘信行氏が食事に合流してくださり大いに歓談をした。杉山さんにはおどろく程の歓迎を受け生涯忘れえぬ会合になった。

また、昭和6年に甲子園に台湾から出場した嘉義農林(嘉農)野球部の物語を魏徳聖氏がプロデユースした映画「KANO」を見、皆泣き、感動した。拓大生必見の映画である。台湾で有名な占いの師に見てもらい感激したものもあり。全く有意義な旅行であった。

台湾在住の拓大OB諸氏の益々のご活躍とご健康を祈ります。(菊田記)


海外旅行中に、その土地の映画を見た経験はなかったと記憶してますが、今回の台北旅行で、映画「KANO」魏徳聖監督、永瀬正敏主演を見て、感激し涙を禁じ得ませんでした。是非皆さんにも、見て頂きたく、ストーリの概略を記します。

時は77年前、昭和6年夏の甲子園大会台湾予選大会、今まで一度も勝った事が無い、嘉義農林学校が彗星のごとく現れ、台湾予選大会決勝で、強豪台北商業を延長10回、11対10で破り、甲子園大会台湾代表となります。そして、本大会で決勝まで勝ち抜き、優勝決勝戦で中京商業と対戦、「血染めのボール」を投げ続ける呉明捷投手の力投もむなしく、4対0で敗れます。

野球のストーリーは良くある話ですが、問題は野球部員の選手たちです。台湾人4人、日本人3人、漢民族2人、監督日本人(元松山商業出身、初代監督)であり、「民族を超えて、野球が好きで集い、甲子園を夢見て、一丸となってやり遂げる」。恐縮ですが、拓大の校歌に「人種の色と血の境、我が立つ前に差別なし」とあります。台湾の嘉義農林学校の野球部員が、まさにそれを実践してくれた光景に、この映画を同時に見た我ら拓大4人(菊田66期、中山67期、池谷68期、宇佐美65期)終幕後も感激で、声が有りませんでした。今年の夏、甲子園大会に合わせて、大阪で封切り予定と聞いています。

日中韓台間で、諸々の問題が国内外で起こっておりますが、時代が違っていても、何とかならないものかと大陸浪人は、ただ溜息のみです。

大陸老人 上海 宇佐美凱義

飲むと電話の文化

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歌(森さん)

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