創立百年史編纂室ニュース

   2014/04/11

北上市染黒寺の中田剣哉先輩碑

北上市・染黒寺の中田剣哉先輩碑

昨年後半は拓大応援小旗を手に東奔西走した。8月1日、東北新幹線の北上駅(旧JR黒沢尻駅)で途中下車し、川岸3丁目の染黒寺山門をくぐる。正面の本道の左側に「海軍中尉中田剣哉の碑」が建っている。

サキノ太平洋戦争中、昭和十八年十二月、学半バニシテ海軍第十四期飛行予備学生ニ選抜サレ、土浦海軍航空隊、第二美保海軍航空隊ヲ経テ松島海軍航空隊ニ着任シ、海軍陸上攻撃機ノ士官搭乗員トシテ沖縄特別攻撃隊ニ加ハリ、昭和二十年三月三十一日福島沖太平洋上ニテ散華セリ、三十七回忌ヲ卜シ、母中田コト追善ノ爲ニ墓碑ヲ建立、海軍同期生相議リ茲ニ菩提ヲ弔フ

昭和五十六年辛酉三月三十一日(略)

故中田剣哉先輩は地元県立黒澤尻中学校(現黒沢尻北高校)から拓大予科へ進み、学徒出陣で海軍に入った。96中攻の操縦員である。本来は、24代目中田直芳大和尚の弟子で後継ぎの人。このため、本堂裏手の歴代和尚の墓碑には父子並んで名を刻まれている。「剣哉獨然和尚」が、それだ。甥に当たる現住職の芳文和尚が立派な袈裟をまとって墓前に立ち、経文を唱えて下さった。「60年を経て東京の拓大から人が訪ねて下さるとは、剣哉さんもさぞ喜んでいることでしょう」。剣哉先輩の実弟は山梨県北杜市で浄林寺・中田直道さん(鶴見大学教授)である。

盛岡市の新渡戸稲造博士

8月3日、八幡平市の全国高校レスリング会場から西口茂樹八王子体育振興部長に車で案内されたのが盛岡市の中心部、「新渡戸稲造生誕の地」だった。周囲は夕暮れに近かった。記念公園に建つ稲造博士(拓大2代目学監、植民政策、初代名誉教授)の像に、うやうやしく献旗した。博士が驚いたか、久しぶりの拓大モードを懐かしく感じてくれたか。像は微笑を浮かべていた。

回天出撃基地と石田敏雄先輩

秋10月2日、所は変わって山口国体レスリング会場は周南市(旧徳山市)である。新幹線徳山駅前の船着き場からボートで徳山湾内の大津島(馬島とも)に上陸。徒歩15分の山道の先に人間魚雷・回天(1人乗り、体当たり爆装水中兵器)記念館が見えた。参道の両側に回天特別攻撃隊搭乗員の石碑が並んでいる。左の中ほどに「海軍大尉 石田敏雄」が見えた。台北商業から拓大41期、海軍兵科予備学生4期。猛訓練を経て昭和20年2月26日、硫黄島海域のアメリカ機動部隊攻撃に大型潜水艦イ号368に搭載されて出動。名誉の戦死を遂げた。同行者とともに手を合わせた。

宮澤正幸(51期)

盛岡市の新渡戸稲造博士像回天出撃基地の石田敏雄先輩碑