フランス支部たより
今日は定例会で丸崎先輩と松田君といつもの韓国料理屋で歓談しました。フランスにもまだ拓大OBがいるのではないか?と言う話になり、近日中にパリの新聞でアナウンスします。
我が愚息達は期を同じくして日本語を勉強したいと言い出しました。その理由の第一義は「日本の家族達と日本語で話したい」何とも嬉しいのではありますが、日本語を教えなかった父親に責任ある訳で…複雑な思いもあります。
しかし「母国語」とはうまく言ったもので本来の意味から離れて、あえて字面だけで捉えると”母の国の言語”なんですね!だから海外において知人を見ても母親が日本人で有る場合は例外なくある程度の日本語は解し話します。逆に父親が日本人であった場合は概ね日本語は解しません…いつもそんな風に言い訳してきました。
ところで、長男はフランスとドイツの国境、欧州議会のあるストラスブールのアート高等学院で学んで1年が経ち、時間に余裕がある事もあり新学期(10月)からストラスブール大学の日本語学科にも入学、二足草鞋となりました。
次男は残念ながら今年の受験に失敗しましたが、大学であればどこでも入学出来る資格を持って居るので、遊ぶのは嫌だとINALCO(国立東洋文化言語研究所=日本の外大に近いのですがかなり高度、卒業まで行くには並大抵ではありません)に入学しました。
第1学年、そこで指定された教科書が「ひらけ日本語」というものでした。変な名の教科書だ…と思いながらページをめくると中々良い内容でした。出版社はどこだろうと確認すると、何と「拓殖大学日本語教育研究所」とありました!何という驚きと喜びでしょうか!
地球の裏側、フランス随一のINALCOの教科書が、我が母校拓大の研究成果の賜物だったのでした。なる程「ひらけ日本語」の”ひらけ”は拓殖大学の”拓”だったのですね。変だと思った教科書名の謎が解けた訳です。
考えてみるとこの教科書「ひらけ日本語」もフランスに根を張り、拓大建学の精神の一つでもある「海外雄飛」の目的を果たしていた訳です。おそらくフランスばかりでなく世界中の何処かで日本文化・日本語を勉強する異国の人々の役立ち高く評価されているのでしょう。これは大きな社会貢献であり誇り高いものであると考えます。拓大OBとして共に喜びを味わいたく筆を執りました。
余談ですが私の長男の名は「拓也=たくや」、次男は「正拓=まさひろ」です。この2人がいつか日本語で家族と会話をし、友人を作り人間関係の中で鍛えられ己を磨き”道を拓いて”欲しいと祈りつつ…
加藤淳好(73期)