被災地治安維持警備隊

   2014/04/13

被災地治安維持警備隊

天皇陛下、皇后陛下におかれましては4月27日、宮城県の南三陸町に行幸啓あそばされました。

行幸啓の知らせを拝しまして、愚生らは御奉迎および御奉送に参列申し上げるため、石巻市から南三陸町へ馳せ参じました。行幸啓あそばされる避難所の歌津中学校におきまして、国旗を掲揚し、御奉迎および御奉送申し上げました。感激の瞬間でした。

愚生らがいち早く馳せ参じることができたのは、宮城県石巻市において、被災地治安維持警備隊として警備に当たっていたおかげです。被災地治安維持警備隊とは、青森県の工藤正也さんの呼びかけによって、被災地での民間警備活動に参加した民族派有志の総称であり、特定の団体ではありません。東北・関東・関西の各地から有志が馳せ参じてくれました。

さて、犯罪が多発しているといわれていた石巻市でしたが、かなり治安が回復しており、心配は少なくなりました。一時は治安悪化の代名詞ともいわれたのが石巻市D地区であり、被災地治安維持警備隊が何次も赴き、警備に当たりました。このD地区ですら、治安が回復しています。まずは何といっても、電気が通ったことが最大の要因です。何回も警備に当たってきた同志によると、以前とは見違える程、明るくなっているとのことです。

つぎに治安維持活動が強化されたこともあります。地元の自警団が活動しているらしく、黄色の回転灯を付けた車が何台もあり、市内を巡回中にすれ違いました。警察官と似た制服を着て、点滅する交通誘導棒を持ちながら、5~6人で歩いている人々も見ました。警察官ではなく、警備員なのでしょうか。また、警察のパトカーとも何回かすれ違っております。

D地区の交差点にあるコンビニが再開したことからも、治安が回復されたと実感できました。この交差点はD地区の入り口ともいえる最重要警備地点でしたので、被災地治安維持警備隊が市内を巡回する時以外には車輛を止めて待機していたところです。

この交差点にあるコンビニが、27日から営業を再開しました。しかも24時間営業です。その上、深夜の店番を若い女性が1人で行っていました。彼女によると「治安は良くなった」「近頃は泥棒の話は聞かない」とのことでした。ちなみに、このコンビニは「泥棒に入られて、商品全てが盗まれ、店内が空になってしまった」とのことです。石巻市内を巡回すれば、犯罪の痕跡が明らかにあり、どんな状況だったのかは簡単に分かります。

しかし、人間がいる場所では治安の回復したのではないでしょうか。一部の不心得者は例外であり、日本人の民族性、国民性は素晴らしいと実感できました。これは、石巻市のみならず宮城県はもちろん東北全体にいえることと存じます。では、人々が避難している福島県の「警戒区域」の場合はどうなのでしょう。

福島第1原子力発電所の20キロ圏内で、無人となっていた町村での盗難事件については、マスコミでも報じられていました。しかし、それも政府により「警戒区域」とされたため、立ち入りが禁止となり、警察が道路を封鎖しました。「警戒区域」となる前には、大きな道路には警察がいましたが、小さい道路からは自由に出入りできました。現地の人々が出入りする様子は目にしました。

笑い話(?)になりますが、愚生らは道に迷ってしまい、いつのまにか20キロ圏内をドライブしておりました。現在は大小にかかわらず道路は全て封鎖されたはずですから、容易に入り込むことはできなくなっています。これにより、盗難などはなくなるものと存じます。もちろん被災地での犯罪は完全になくならないでしょうが、犯罪は被災地に限ったことではありません。

被災地治安維持警備隊としては、今後の活動を協議しました。東北・関東・関西の同志が各々部隊を編成して、青森県・岩手県・宮城県・福島県と何次にもわたり警備活動を展開してきましたが、当面は休止することになりました。今後は、今回の経験を活かし、準備だけは怠らず、待機する予定です。

なお、写真は4月27日に撮影した南三陸町立歌津中学校の校庭の桜の蕾です。後方には自衛隊の車輛が写っています。

三澤浩一(81期)